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6話
時任と知り合って3か月後、図書館で勉強しているとアイツがやってきた。
相変わらず許可も得ず隣に座ると、人が借りた本を勝手にめくり始める。
「『近代ジェンダー論』『セクシャルの定義』……レポートに使うのか?」
「個人的な興味だ。心理学のテーマは別」
追い払うのも骨が折れる。時任と話しているだけで周囲の目が痛い。俺の隣の椅子を引いて座る時任とひと睨み、呟く。
「聞いたぞ。心理学の講義とってないんだってな」
「ばれたか」
「なんで専攻してない講義にまぎれこむ」
「別にかまわないだろ。とってない講義も自由に聴けるのが大学のいい所だ」
「暇人だな」
「向学心旺盛と言ってくれ」
「何で音大にいかなかった。ピアノをやってるんだろ」
「お前から俺の事を聞いてくるのは初めてだな」
前々からの疑問をシニカルに口にすれば、時任が何故か嬉しそうに答えをあかす。
「音大で学べるのは技術だけだ。既に完成しているものに雑音を入れたくない」
「自惚れが過ぎる」
あきれた。
この変人は音大で技術を磨くより、普通の大学で見識を広げる選択をしたのだ。
「ピアニストでやってくと決めているのに、それ以外の知識が必要か」
「大学は趣味みたいなものさ、幅広い人脈を培える。音大は音楽以外に無関心な人間が集まる場所だ。そっち方面のコネやツテなら間に合ってるから、ちがう刺激がほしいんだよ。じゃなきゃ面白くない」
時任を見る目が少し変わる。
変人の評価は動かないが、彼は彼なりに志を持って大学に来たのだ。専攻外の講義に出席するのも積極性の表れと評価できなくはない。
「ピアノに操を立ててる訳じゃないんだな」
「古風な言い回しが好きだな遥は」
時任がおどけて肩を竦め、ニヒルな笑みで付け足す。
「ピアニストは世間と寝る。有名になりたいなら営業の才能も求められる。そもそも俺は浮気性だから、ピアノに一途じゃいられない」
続いて時任が向き直り、わずかに身を乗り出す。
「お前、俺の演奏を聞いたことがあるか」
「いや……」
曖昧に濁せば、大袈裟に目を丸くする。僅かな幻滅とそれを上回る痛快さ。
「珍しいな」
「自分で言うなよ。クラシックは嫌いじゃないがテレビは見ないし、最近のヤツには疎いんだ」
「暇なら聞いてみろ、人生観が変わる」
この自信家がキャンバスライフを満喫する傍ら、企業のオファーを受けて様々なイベントに出演しているのは知っている。コンサート活動で忙しい時は平気で何週間も休む。時任が不在の大学は静穏で、俺の心に安らぎをもたらす。
「興味のない人間にまで才能の押し売りはやめてくれ」
眼鏡のブリッジを押さえ、時任のお薦めを丁重に辞退する。
元々親が好きでクラシックのレコードを集めていたせいか、子供の頃からよく聴いていた。が、現代のピアニストには興味がない。自ら調べることなく無関心に徹すれば、意外と情報は入ってこないものだ。いかに時任が有名人といえど、芸能人とは違うのだ。
「執筆中に大変恐縮だが、俺の暇潰しに付き合わないか」
時任の自己本位な誘いに鼻白んで適当にはぐらかす。
「レポートが終わったらな。さがしている本が見付からなくて」
その言葉を待っていたとばかりに、時任が一冊の本を俺の手元に滑らす。
「さがしているのはこれか?」
「どうして……」
「先回りで確保しておいた。少し目を通したが論旨がわかりやすくまとまってていいぞ」
「余計なことを。恩に着せる気か」
「そう噛み付くな」
俺の行動を先読みし、図書館で目的の本を確保する時任の直感力が薄ら寒くなる。あるいは俺以上の的確さで俺の探し物を把握してるのか?
余裕に構える時任に反発を覚え、ちょっとした意趣返しをする。
「前に言ってたクイズの答えがわかったぞ。ベートーヴェンのピアノソナタ第23番、『熱情』の第3楽章だ」
「お見事。簡単すぎたか?その割には時間がかかったが」
時任が情熱のない拍手のまねごとでひやかす。
「ベートーヴェンとは随分スタンダードだな」
「いいものはいい、それが世界の本質だ」
飄々と言い放ち、続いて興味深そうにグレイの眼を眇める。
「どうやって調べた?家にピアノがあるのか。実際弾かなけりゃわからないだろうに」
「どうでもいいだろ?くだらない謎かけに付き合ってやったんだ、もうほっといてくれ」
「あててやる。彼女に頼んだな」
図星だ。
「なんで俺が付き合ってるって……」
「一部で噂だ」
時任が喉の奥でおかしそうに笑い、椅子を傾けて乗り出す。ミステリアスな灰色の瞳に、動揺も露わな俺の顔が映り込む。
「遊んでるのはお互い様だろ?付き合ってほしいと言われたら絶対断らない斑鳩遥」
「…………」
「そしてすぐ別れる。何故だ?多少なりとも好意があるからOKしたんじゃないのか」
「付き合ってくれと頼まれたから付き合った、それだけだ」
冷たい言い方もしれないが本心だ。俺から望んだことや求めたことは一度もない。相手に告白を受け、交際を望まれたから応じただけだ。いちいち断る理由を考えるのが億劫というのもある。
時任のクイズに正解を出す為、ピアノ経験者の恋人に助力を仰いだことがいまさらながら悔やまれる。
実をいうと、答えならすぐに出ていた。今まで保留で引き延ばしたのは、直後に彼女と別れたからだ。
「クイズの答えを知ったら用済みで放りだす。薄情め」
「悪意がある言い方はよせ、たまたま彼女がピアノをやっていたから弾いてもらっただけだ。別れた理由は関係ない、性格のズレだ」
「本当にそれだけか」
おもむろに手がのびて俺の頬に触れる。
ひんやりした温度に胸が騒ぐ。
「お前は清潔そうな顔をしている。美形じゃないが目鼻立ちも地味に整ってるし、物事に深入りしない淡白さに惹かれる女は多い。そういう種類の女は自分にだけドライじゃない素顔を見せてほしいんであって、期待を裏切り続けたら必然離れていく」
「そうだな、お前の言うとおりだ。男として欠陥があるんだよ、だから誰とも長続きしない。せっかく好意を伝えてくれた相手ともうまくいかない」
これ以上相手をしたくない。時任は俺がひた隠しにしている胸の内を容赦なく暴き立て追い詰めていく。
初めて付き合った高校時代からそうだった。もって数ヶ月、付き合ってはすぐ別れるくり返し。相手に未練はないが、回数を重ねるごとに自分への嫌悪感は募っていく。
時任とは比べるべくもないが、俺の容姿はそこそこ異性に魅力的に映るらしい。集団の中ではソツのない振る舞いを心がけている為、好意を抱く子も多い。俺自身はどうでもいい、興味もない。
時任が素で疑問を述べる。
「なんで好きでもない相手と付き合うんだ、俺なら考えられない」
「好きと言われたらこたえるのが義務のような気がする」
「色恋沙汰において同情は最大の侮辱だぞ」
「お前には一生わからないだろうな」
自由奔放に生きる時任と、惰性で受け身に徹する俺の生き方は永遠に相容れない。求められたら与える、望まれたからこたえる。それはそんなに間違っているのだろうか?
「最初は断っていた。けど勘違いする子は後を絶たない。他に好きな子もいない、付き合っている相手もいないのに拒否し続けるのはしんどい」
「嘘でも他に好きなヤツがいると言えばいい」
「誰だと詮索されて、はぐらかすのも疲れる」
本当の事を言うと、「好き」という感情がよくわからないのだ。だから偽れない。
そんな俺の葛藤もお見通しみたいに微笑んで、時任が憐れむ。
「不器用なヤツ」
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