ぱんぱかぱん! 認定です!

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通学の最寄駅ではない、大学からも離れている地区。なんとも不便な場所にあるパン屋さんでバイトを始めた。 なぜ縁もゆかりもない場所でバイトをするのか? それはバイトが終わってから気軽に立ち寄ることのできる近場に、パオズ先輩のアパートがあるからだ。 同じ大学で、同じ弓道サークル。まあぶっちゃけて言えば、高校でも後輩だった私が、パオズ先輩を追いかけていって、今の「同じづくし」になったんだけど。 これで待ち伏せやLINE攻撃なんかしてしまうと、ストーカー扱いされるので、そこは抑えてます。 抑えてますが。 「まあ今日も? 寄らせてもらっちゃう?」 試食を試食せずで手に入れた新作パンを紙袋に入れ、私は一直線に先輩のアパートへと向かう。歩きで5分。ピンポンとチャイムを鳴らすと、スウェットに伸びたTシャツのだらしない姿で、パオズ先輩が出てきてくれた。 ヒゲぐらい剃れ。 「なんだよエビちゃん、また来たの?」 気だるそうに、ちょっとだけ邪険にされる。もう慣れた。ちなみにエビとは私のことで、エビチリ好きからのあだ名。パオズ先輩も然り。 「パオズ先輩に新作のパンを食べさせてあげようと思って」 紙袋を差し出すと、先輩の顔はパッと輝いた。 「おお、新作パン? ありがとな」 「ちなみにぃ、私もまだ食べてません」 静止。先輩はそこから溜め息を吐くと、渋々のていで「あがってく?」と誘ってくれた。 なかば強引ではあるが、これで良し。愛しのパオズ先輩の彼女ではないけれど、ちょっと彼女気取りで部屋へと上がっちゃう。 キッチンを借りて、ちょっとしたスープを作って猛アピール。先輩、できたらもうそろそろ、落ちてくんないかなあ。 ✳︎✳︎✳︎ 「え? それって本当なの?」 信じられないことが起きた。その事実は今年一年、私の中の度肝を抜かれた事案ナンバーワンに躍り出ることとなる。 それは、夕方の店じまいの準備で、売れ残ったパンをバンジュウに入れている時のことだった。 「え? マジで言ってる? うそ、パンってパン屋じゃなくても作れるの? パン職人じゃなくても?」 驚きの顔で言う。 同じくパン屋「リンドウ」で働く、接客販売のヤマシタくんも同じような驚愕の表情を浮かべながら、「はあ? こっちこそ、え、それマジで言ってます? ですよ」と生意気な口調で言う。一つ年下のくせにだ。 「ききききき菌とか、どうすんの?」 「菌て! 言い方! 売ってますって、ふつーに!イースト菌!」 「……専門店街とかで?」 「ただのスーパーで!」 私はさらに恐れおののき風に、 「うっそお。じゃあ、和菓子屋で売ってる和菓子とかも? ももももしかして家でできちゃう?」 ヤマシタくんが、呆れた顔で、(いか)ってくる。 「この人マジか。うちの姉ちゃん普通に家で、和菓子でも洋菓子でも手作りしてますって」 「……し、素人でも作れるんだ」 噓みたい。知らなかった……。洋菓子ならまだしも、和菓子なんて老舗和菓子屋さんでしか生まれ出ずることはないと勝手に思っていた。 呟くと、レジと厨房をつなぐ大きく開け放った窓から、笑い声が聞こえてきた。 「あはは、相変わらず面白えなエビちゃんは。俺なんかさ、パン作る前は金型工場で働いてたってーの」 「ええ⁉︎」 まだパン職人見習いのカガワさんが、新たなバンジュウを手渡してくれながら、そう言った。 これには度肝を抜かれたっていうか、マジで驚いたんだって! 「金型⁉︎ 全然、畑違いじゃん。え、じゃあなんでパン職人に?」 受け取ってから、さも不思議そうな顔で訊くと、カガワさんが両手を腰に当てて胸を突き出してから、威張ったように言う。 「早起き、得意だから」 ぶっと吹きそうになって、慌ててマスクの上から口を押さえた。 「え、そんな理由う?」 「まーねー。基本おじいさんなんだよ、俺。朝の時間、持て余しちゃって。しかも、早朝手当がつくしなあ。今、店長いねえからぶっちゃけちまうけど、ここ入ったのだってパンが作りたいからではない」 確かにまあ? 私がここ「リンドウ」で働く理由も、大好きなパオズ先輩の近くにただ居たいだけということだし、まあパンも好きなんだけれども。 「そういえばヤマシタくんも家、反対方向なのになんでここでバイトしてんの?」 バンジュウを二個重ね、一気に厨房へと運んでいった力持ちくんは、カウンターに戻り私の隣にくると、肩をわざとどんっと当ててくる。 「僕はまあ、パンが作りたいから、ですかね」 「え⁉︎ ヤマシタくん職人希望なの?」 「そうっす。でも店長の意向で、職人になる前にまずは接客からってね。それに僕、研修期間、今週末で終わりますから、来週から厨房ですよ」 カガワさんが、窓から顔をニョッと出して、「来週から同じ職人かあ。ヤマシタは器用だから、俺。負けるかもー」と言った。 ヤマシタくんは、高卒で働き出した新人くんだ。 「僕、集団って苦手なんっすよ。だから、普通のサラリーマン無理かなあって」 「そうなんだ」 しんみり言うと、「でもまあ、ここ『リンドウ』は好きですよ。雰囲気とか、すごく馴染みやすいし」 「だね」 みんな、良い人なのよ。こんな職場、滅多にないだろうな。 ✳︎✳︎✳︎ 「え? どゆこと? 先輩?」 信じられないことが起きた。それは今年一年、私の中の度肝を抜かれた事案ナンバーワンを抜き去って、抜きすぎて、突き抜けすぎて、もう死んじゃうかもなレベルに躍り出ることとなる。 「だからあ、エビちゃん。もうううちに来ないでってこと」 呆然自失。うそ、なんで? 「俺、彼女できたんだ。一緒に住むからさあ。エビちゃんに来られると、ちょっと困るんだよね」 うそ、まじで? いやあああああーーーーーーー! ✳︎✳︎✳︎ 「そっすか。それじゃ、この仕事する理由がなくなっちゃいましたね」 目を真っ赤にして鼻をかむ私の隣で、ヤマシタくんがパンを包みながら、実にあっさりと言ってのける。 くっ。 しかも。 「ちょ、店内で鼻かむのやめてくんないっすか? 汚ねえんで」 と、ひじょーに冷たい。 「なんだよー、ちょっとは慰めてくれよー」 そう言いつつ、ティッシュを丸めてゴミ箱へポイ。手を消毒し綺麗になったところで、私は使用済みのトングを拭き始めた。 「パオズ先輩のためにこのパン屋にしたんだもん。ああああーこの労働にもうなんの意味もないぃぃ。ヤマシタくん、もう一緒にここ辞めよぅよ」 ヤマシタくんは、空いたトレーだけでなくパンを袋に詰めていたトングまで、次々に私に渡してくる。なにそれ。これ全部、拭けってこと? (つら)っ。 「はあ? なに言ってんですか。なんで僕まで辞めなきゃいけないんっすか⁉︎」 「だって、ひとりで辞めたくない」 「僕、明日からやっとパン職人だっつーの。スタートで終了ってどんなんっすか」 ヤマシタくんが呆れながら、包んだパンを籐製のカゴにひとつひとつ入れていく。それはそれは、優しい手つきで。柔らかいパンを潰さないように壊さないように。 「エビ先輩だって、別に辞めなくても良いじゃないですか」 「なんで? だって、フラれたんだよ? もうここで働く意味ないもん。ってか、生きてる意味も、」 「やめろ、ネガティブ重いし暗え!」 「生きている意味もないってのに、他にそれ以上の理由ある?」 「後ろ向きすぎるっつーの」 「女子って生き物はねえ、フラれた時は、こんなもんなんだよっ! どーんと落ち込んじゃうんだよっ!」 半分キレ気味で、ずびっと鼻をすする。お客様が居ないのを確認、ティッシュを引っ張り出して、また鼻をかんだ。 今度は、カウンターの後ろに隠れて、だ。座り込んで、鼻をかんでいると。 「パン、好きなんでしょ?」と訊いてくる。 「……ん、まあ、ね」 「なら、いいじゃん。僕もいるし」 「あはは……」 力なく笑う。 「僕が美味しいパン作ってあげますよ」 しゃがみこんだ頭の上から、矢継ぎ早に言葉が落ちてくる。それはそれは、シャワーでも浴びてるみたいに。 「フラれたくらいでそんな落ち込まなくったって」 「元気出してくださいよ」 「エビ先輩はそのままで十分可愛いんだから」 「リクエストのパンだって、僕が……なにが食いたいですか? クリームパン? アップルデニッシュ? 確かアップルパイ的なもの、好きでしたよね?」 そんで。 「僕がエビ先輩のためにどんなパンでも作ってあげますよ。それが、僕がこの仕事を選んだ理由なんですからね」 え? ってなっていたら、厨房の窓がバンっと開いて、中から怒鳴り声が聞こえてきた。 「ヤマシタああぁ! お前まだ見習いってか、パンのパの字も作ってねえくせにしゃらくせえこと言ってんじゃねえよっっっ」 早朝手当が目当てのカガワさん。 「モノになるまでこき使ってやるからな! エビちゃんに食わせてやるのは、それからだあっっ!」 「って、カガワさんだって、ここ来てまだ二ヶ月でしょ⁉︎」 その言葉で笑いが起きて、あっという間に「リンドウ」は笑いの渦。いまだ混乱中の私は、つられ笑いでそのまま盛大に鼻をかんだ。 あっそう。そうなの? あっそう。 パン作ってくれるっていうなら、まあいっか。こうなったら、パン、食いまくったる。 この仕事についたのは。 「ヤマシタくんの作るパンを食いまくる」で新たに認定! ぱんぱかぱん! 新作パンの試食だって、パオズ先輩にはもうやらん! ひと欠片も残さず、全部食ってやる〜。
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