朝月とクレマ

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朝月とクレマ

 空に残る朝月。その下で動く無数の人の群れ。  その群れが今、電車のドアから中に吸い込まれていった。  通勤・通学というのは非常に厄介なものだ。  人が密着し合う狭い空間。降りたい駅で降りられない不安感。他人から連鎖する苛立ち……  勤勉な日本人の抱えるストレスで空気は淀んでいる。どこからか聞こえてくるため息や舌打ちが絶えない。  それでも朝は来る。毎日来る。  私は今日も『もう帰りたい』という気持ちを抑えて、吊り革を握る。  ホームに押し出されてから歩く、駅から駅までの数分間。中間くらいの場所でいつもあなたとすれ違う。  あなたは私の顔を見ない。私はたまに遠くからじっと見つめてみるのだが、目が合ったことはない。  あなたは私より少しだけ背が高い。スーツに身を包んではいるが、それは形だけで、表情や仕草を見ればまだまだ若々しい。朝日に目を細めたり前髪を気にしたり。  繰り返す淀んだ毎日に染まっていない。  そう思って、なんだか嬉しくなって、私は誰にも気づかれずにクスリと笑った。  半年ほど前。  私はあなたが毎朝同じ時間にこの道を通ることに気づいた。  スーツを着た若い男性なんてたくさんいるから、初めはそれほど気にしていなかった。  しかし、少し手を揺らして歩く歩き方や、たまに見せる子供っぽい仕草がなんだか癖になって、いつの間にか、あなたが来ると目で追ってしまうようになった。目で追うと言っても気づかれない程度に遠くから見るだけだ。  それが私の一日のスタートのようになっていた。  半年間、この妙なルーティーンを続けている。話しかけたいとは思っていないし、あなたに対する感情も特にない。ただ、毎朝見ないと気が済まない天気予報のように、あなたを見ている。
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