1.憂鬱な帰郷

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結婚の翌年には長女の私。その二年後に弟の#佳彦__よしひこ__#を出産し、二十代を家事と育児に明け暮れた母にとって、二十代も半ばを過ぎたのに浮いた話のひとつもなく、かといって焦る風もなくのらくらと都会で一人暮らしをしているように見える娘は母にとって心配の種でしかなかったらしい。  帰省する度に親戚の誰々が結婚した、同級生の誰それちゃんも来年の春には式を挙げるみたい。三年前に結婚した〇〇ちゃんはもう二人目がお腹にいて、実家の近くに戸建てを建てるらしい……と聞いてもいないのに報告してくる。  それだけでもいい加減うっとうしいのに、そのあとには決まって 「それであんたはどうなん? 百貨店なんて女の人ばっかりなんやろ? お付き合いしとる人はおるん? 自分で見つけられんのやったらこっちでいい人探しとくから一度お見合いしてみ」  と続くのだ。  27歳。  微妙なお年頃の女子としては帰省の回数が、次第に減っていったとしても誰も責められないのではないだろうか。それがこんな形で帰ってくることになろうとは……。  私は、今朝から何度目かもわからないため息をついて、はあっと空を仰いだ。  ああ、やっぱりどうしたって気が重い……。  勤めていた百貨店を退職して、奈良へ帰ることにしたと連絡を入れたのは一昨日のことだった。  退職願いを出したのが一ヶ月前。  私がいたのは百貨店のなかでも外商部と呼ばれる顧客の対応をする部署だったので、担当のお客さまへのご挨拶と引継ぎが終わったのが二週間前。  残っていた有給を消化するかたちで実際の退職日よりも二週間はやく最終出勤を終え、休日を使って賃貸の部屋の解約や、退職、転居にともなうさまざまな手続きを進めながらも、私はなかなかそれを実家──母に伝えることが出来なかった。  何度もスマートフォンの電話帳を繰って実家の番号を表示させながらも、どうしても通話のボタンを押すことが出来ずにぐずぐずと日を過ごした。  こちらで使っていた家具家電のほとんどを処分、またはリサイクルに出し終わり、残りの荷物もダンボールに詰め込んで宅急便の集荷の手配をし、新幹線のチケットも抑え終わって、もう今、連絡しなければ送った荷物の方が先に実家に着いてしまう、という段階になってようやく電話をかける踏ん切りがついた。
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