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夜の底で、危うく吠えそうになった。
寂し過ぎて殺意が湧いたせいだ。
繁華街の通りに、彼はいた。どんなに夜が暗くても、都市は喧騒と、様々な色の光に溢れ返っていた。誰もが、頭上に広がる闇の深さなど、知らぬふりをしている。
(──なんて群れだ)
人々のうねりが、彼を苛立たせていた。その流れに従いも逆らいもせずに立ち尽くしている。先程からずっとそうしている。
そんな彼を気に掛ける者などいない。すぐ傍をうろつく客引きの若い男すら、声を掛けようともしない。
己だけがあらかじめ、見えない檻に隔離されている。そういう気さえしていた。
(醜くて、騒々しくて、反吐が出る)
鉄格子など幻であり、存在しないのだと、知っているはずだった。
憂悶は、身の内で煮え滾っている。
(駄目だ、落ち着け)
ずっと唇を固く閉ざしている。口中では幾度も生唾を呑んだ。
(孤独なのは自分だけじゃない。そんな他人いくらでもいる。頭でもそうわかっている)
彼にとって、他人はすべてひと塊の群れだった。どんなに背景に違いのあるはずの他人も、ひとたび群衆に混じれば扁平なひと塊になってしまう。
忌むべき人の群れから、抜け出したくなって歩き出す。
それでもどこまでも続く、喧騒と熱気。怒声や嬌声を耳と肌で敏感に、痛みと感じてしまう。
(嗚呼、こんな群れに呑まれたくない)
スクランブル交差点に出るも、人々のうねりは彼の行く向きと逆行し、濁流のように厄介になっていく。
彼はとうとう喘ぎをこぼす。口の端がぬらついた。
天を仰ぐと、今にも満ちようとしている月が、黒い夜の真ん中にあった。
(嗚呼、月よ)
彼は、叫び出しそうになった。
(お前はなぜオレを狂わせる)
つまずき、膝を着く。口からとめどなく、唾液が漏れていく。身体中で血がざわめく。
(オレを見るな、月よ──)
声にならない叫びが、軋みをあげる身体の中で響いた。
(群衆よ、聞け、オレは──)
悲鳴に似た告白は、誰にも届かない。
「ジョーヤ、入るよ」
合鍵を使ってドアを開けた小牧月彦は、そう言って玄関で靴を脱いだ。
なんてことのないマンションの一室だ。台所の横を通り過ぎてすぐの、暗い寝室に入ると明かりを点けた。
玄関に黒い編み上げブーツがあったので、友がいるのはわかっている。
最上常夜はベッドで仰向けになり、胸の上で指を組んで眠っていた。掛布も被っておらず、静物じみている。洋間に馴染まぬ藍色の着流し姿なのは、いつものことだ。
「ジョーヤ」
呼びかけるも、返事がない。
常夜の寝ている姿は、まるで死人のようだ。そう月彦は思っている。彼は黒縁眼鏡を押し上げて、まじまじと友人を見つめた。
「ジョーヤ、死んでないよね」
「生きているに決まってるだろ、ツキヒコ」
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