エピソード2

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エピソード2

 本来の目的地である購買は本校舎の一階にある。そして更に進めばその先に食堂があり、購買で買った品物や持参した弁当なども持ち込める。生徒達の憩いの場。予定では弁当持参組の幸秀と共にソーセージロール、足りなければ学食のミニそぼろ丼を食べながら先日行った新入生歓迎会の反省や来年度への引継ぎ書類などの打ち合わせをする予定だった。 「せ、仙名くん……だっけ?」 「はい、一年E組の仙名潤です」 「幸秀とはどんな関係?」 「中学が……」 「え? 幸秀と一緒の中学?」 「い、いえっ、違いますっ! あの、隣の学区の中学校で」  幸秀の出身中学は地域でも有名な私立中学校だった。新太郎も近くの私立中学校の出身だが別の中学校。だが当時から〝小笠原幸秀〟という人物がいるのは知っていた。中学生を対象とした全国模試で常に一位の成績を収めていたからだ。成績順位を見ながら全国一位の生徒が同じ地域にいるという事実に尊敬と妬みがごっちゃになった感情を抱いていたのを覚えている。 「つまり、面識はないと」 「僕が、一方的に覚えていただけで。あのっ、小笠原先輩は僕達の地域では有名な人でしたからっ」  膝の上で拳をギュウッと握りしめたまま、潤は顔も上げずに話を続けた。  職員室の真向かいにある生徒会室。一般の生徒は三年間の高校生活で踏み入れることはほぼ無いと言っても良いだろう。その生徒会室で、生徒会長と副会長に囲まれているのだから目を合わせられないのも無理はない。  幸秀のテーブルの上には先ほど潤が手にしていた弁当が広げられている。そして潤の目の前には幸秀よりも少しだけ小さな弁当箱。そして新太郎の目の前には──幸秀の弁当。弁当箱というよりも重箱に近い。 「ごめんなさい、あの、本当……」 「構わない。普段、和食ばかりだからたまには洋食も良いものだな」  丁寧な箸遣いでハンバーグを摘むと口元に運ぶ。そのまま大きく口を開けてパクリと一口。我らの生徒会長様は食べ方も無駄がなく品が良い。  ソーセージロールは逃してしまったが思わぬご馳走にありつけた。ラッキー、と言いたいところだがあの空気を思い出すと何を食べているのか味がよく分からなくなる。  麗かな春の陽気を一瞬で凍りつかせた一言。額から変な汗が吹き出すのを感じた。そうとは知らずに幸秀はプチトマトをこれまた器用な箸使いで口に運んでいる。 「……受け取れない」  潤が弁当を作ったこと、それが新太郎の為ではなく幸秀の為だったこと。それを聞くなり考える間もなく幸秀は即答した。真っ赤だった潤の顔がみるみると青ざめていく。 「ごめんなさ、ごめんなさいっ!」  踵を返し、駆け出す潤を新太郎は慌てて止めた。 「ね、ねぇ! 他に渡す宛がないなら俺が食べて良い?」 「え?」 「そのままだと捨てちゃうでしょ? 食べ物がもったいないよ」 「でも……」  後ろ手に巾着を隠しながらチラチラと新太郎の肩越しに幸秀を窺う。 「幸秀もさ、いきなりだったから驚いたと思う。ぱっと見分からないかもだけど……」  とフォローしてみたが新太郎も幸秀が何を考えているかはさっぱり分からない。だがあんな冷淡に断られたらこの子に一生モノのトラウマを植え付けることになるだろう。そんなの、可哀想にもほどがある。 「おい、舞木。どうしてお前が食べるんだ」  せっかくのフォローをぶち壊すように幸秀が新太郎の腕を掴む。断わったのは自分なのに、フォローの邪魔をするなんて。 「幸秀が食わないって言ったからだろ」 「食わないとは言ってない」 「はぁ? さっき受け取れないって」 「今日は母が作った弁当がある。その弁当箱の大きさをみて二つとも食べられそうにない。残すのは失礼に当たるだろう」 「じゃあ最初からそう言えよ!」 「上手い言葉が見つからなくてな」  無表情であの言葉を言われたら誰だって打ちのめされるだろう。ましてやこの少年の目はずっと幸秀を向いていて、その視線は明らかに憧れを超えた気持ちが含まれている。  同じクラスで同じ生徒会。最寄駅も近い。しかもお互いに帰宅部。  そりゃあ、自分に向けられた視線だって勘違いしちゃうでしょ。  何度も心の中で言い訳を繰り返しても恥ずかしさは消えない。よりによって幸秀にアタックしてくる生徒がいるなんて予想もしてなかった。 「……舞木、お前が俺の弁当を食え」 「は?」 「俺が彼の弁当を食べる」  勝手に決めんな。そう言いかけたが実際、幸秀の弁当はいつも美味そうだった。いつも購買のパンに齧りつきながら一度でいいから食べてみたいと思っていた。 「それなら全てが解決する」 「ま、まぁ……この子がそれでいいなら」  目線でさり気なく確認を取る。ムズムズと動く唇。喜びを必死に隠そうとしているようだが隙間から漏れ出るオーラに新太郎もつられて甘酸っぱい気持ちになった。  食堂だと何かと目立つ。そんな理由で生徒会室を選んだのかと思っていたが、幸秀は全く何も考えていないようだった。 「そろそろ体育祭に関してだが各クラスの体育委員と連絡を取り……」  弁当を食べ終えたかと思ったら潤をそっちのけで来月の体育祭の段取り確認をし始めた。お前は真面目か。いや、真面目なのは前から知っていた。体育祭の段取りくらい放課後や明日にでもすればいいだろう。  案の定、潤は弁当を綺麗に食べ終えた後に巾着に包んで居心地悪そうにもじもじとしている。せっかく好意を抱く人に接近できたというのに。何と哀れな。超がつくほどの鈍感真面目男に惚れてしまったのが運の尽きなのか。  黙って見過ごせばいいのかもしれないが、新太郎はどうもお節介が過ぎる部分がある。感情が分かりにくい故に、周りとコミュニケーションが取れない幸秀。何だかんだと世話を焼いていたらいつの間にか生徒会の副会長になっていた。 「おい、幸秀」 「どうした」 「俺、思ったんだけどさ。競技ごとに必要な備品のチェック大変じゃね? 去年、玉入れの玉が少なすぎたりしたじゃん」 「よく覚えているな」 「俺がフォローしたんだよ。お前も前の会長の狼狽えてたの見ただろ?」  体育祭のスケジュール及び当日の雑務は体育委員の仕事。しかしそこに至るまでの準備は生徒会が担う。特に備品関係に関しては学校側の予算などにも関わる。生徒会の管轄だ。 「だからさ、手伝い増やした方がいいんじゃね? ちょうどいいのがそこにいるじゃん」  突然白羽の矢が立った潤。新太郎と幸秀の顔を交互に見ては何かを言おうとして口を噤む。 「ね、仙名くんは部活……そんな忙しくないでしょ?」 「はい。料理研究部は隔週火曜で……あ、でも保健委員の仕事が放課後やお昼休みに入るんですけど」 「保健委員ならちょうどいいじゃん! 救護関連の連絡も頼める!」  本人も満更ではなさそうだし、何より当日は救護班として保健委員からも数名助っ人を頼む。連絡窓口には持ってこいだ。 「……仙名、と言ったか」 「はい」  名前を呼ばれて潤の背筋を正した。その様子に新太郎はテレビ番組でみたミーアキャットを思い出す。ピンと背筋を伸ばす仕草がそっくりだ。よくよくみたら潤はどこか小動物に似ている。背丈の大きい幸秀と並ぶと余計にそう感じる。 「君が良ければ手伝ってもらえないか」 「だ、だ、大丈夫です。是非……やらせてください」 「もちろん委員会や部活を優先してくれ。空いてる放課後や昼休みに手伝ってくれるだけで構わない」  話がまとまったところで次の授業の予鈴が鳴る。 「あ、じゃあ僕はこれで……」  一年生の教室は生徒会室から少し離れた場所にある。もし次が移動教室なのだとしたら急がないと間に合わないだろう。 「仙名」  幸秀が弁当箱を手に呼び止める。てっきり返すのかと思ったら、予想の斜め上の言葉を繰り出した。 「これは洗って返す。明日も弁当を作ってきてくれるのならば……母に弁当はいらないと伝えておこう」 「また作ってもいいんですか?」 「ああ。美味しかった。明日も楽しみにしてる」  まさかあの幸秀がこんなことを言い出すなんて。相変わらず表情は変わらないけれど、耳が少し色づいて見えるのは室内灯のせいだろうか。  もしかしたら、とんでもなくいい仕事をしたのかもしれない。  新太郎は一人ニヤつく。もしいい結果になったとしたらその時は幸秀にソーセージロールを買いに行かせよう。それとも、また弁当を横流ししてもらおうか。  次の授業は数学。腹がはち切れるほどに膨れている。居眠りなんか絶対に出来ない。帰りに缶コーヒーを買って帰ろう。幸秀もそれくらいなら許してくれるはずだ。
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