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エピソード1
「舞木せんぱーい!」
「しんたろー! 今度カラオケ付き合ってよ!」
今日も廊下を歩くだけでキャアキャアと甲高い声が降り注ぐ。それらに愛想笑いを振りまいてやり過ごすのが新太郎の日課。
「おい、舞木。寄り道は校則違反だ」
「行かないって。行くとしても着替えるよ。制服姿じゃ目立つだろ?」
「一度帰宅するのなら校則違反にはならないが、二十二時前には切り上げるように。補導される」
「生徒会に迷惑かけることなんてしないっつーの」
新太郎の雑な返しにも眉一つ動かさない。そうか、と一言。本当に表情が読めない男だ。これだから周りの人間も怖がって近付かなくなるのだろう。
蒼星学園高校。この学園の生徒会は学園行事において絶対的な権限を持っている。都内屈指の学力水準を誇るがゆえに教師陣は授業プログラムの作成や成績が振るわない者(と言っても他の高校の上位成績者レベルだ)へのフォローなどに大忙し。よって学園行事の運営や雑務のほとんどを生徒会が任されているわけだ。
いくら成績至上主義の学園と言えど、年頃の男女にとって学園行事は最大の関心事。その運営を行う生徒会という存在は蒼星学園の生徒にとって憧れのステータス。面倒くさがりの新太郎が仕事の多い生徒会に入った理由。生徒会役員は何かと女子と接点が持てるからである。
「幸秀は真面目だよなぁ。つーかカラオケとか行ったことあんの?」
「ない」
「即答かよ」
「普通だろう。俺はお前のように器用ではないからな。勉強をこなすだけで手一杯だ」
「よく言うよ。絵に描いたようなハイスペック男がさぁ」
全校生徒の憧れ、生徒会のトップ。それが新太郎の隣にいる男──小笠原幸秀。
「つーか前から気になってたんだけど、そんなに勉強勉強って言うならなんで生徒会なんて入ったの?」
「お父様に言われたからだ。指揮を取る経験を積んだ方が後々為になると」
「はい! 出たー。お父様」
幸秀は大病院の院長の次男坊。兄も医者の道に進んだが、研究の道に進みたいと家業を継ぐのを辞退した。そこで幸秀にお鉢が回ってきたと言うわけだ。幸秀も特にやりたいことがないようで〝お父様〟に言われるがまま医者を目指し、日々勉強に明け暮れていると言うわけだ。
「すげーな。俺には無理だわ」
「舞木こそ何故、生徒会に入ったんだ」
「モテたいから」
「そうか。主体性がある理由で良いな」
新太郎のふざけた言葉にも、模範的な言葉で返す。全国的に見てもトップクラスの学力。そして当たり前のように品行方正な幸秀。彼に唯一欠けているものがあるとするならば感情表現だ。某社が開発した人型ロボットの方が感情豊かではないかと思うくらいに無表情。生徒会長という最高のステータスを持っているのにも関わらず、女子からの人気はイマイチ。新太郎からしたら非常にもったいないと思うが幸秀にとってはモテるかモテないかなんて興味すら湧かないだろう。そもそも他人に興味がなさそうだ。
「それより早く行かないと購買のソーセージロールが売り切れてしまうぞ」
「あ、やべっ」
蒼星学園の購買で一番の人気を誇るソーセージロール。極太なソーセージがもっちりとしたパン生地に包まれているソレは食べ盛りの青少年の心も身体も満たす一品。学生の懐事情にも優しい価格帯。ちんたらしていたらすぐに品切れになってしまう。
「おい、幸秀。急げよ」
「呼び止められる度に受け答えしていたのは自分だろう。それに廊下を走るな。校則違反だ」
あまりの正論に返す言葉がなかった。今日はソーセージロールではなくカレーパンで我慢するしかないのかもしれない。
「つーか、幸秀。弁当組なのに──」
よく学食付き合ってくれるな、そう言いかけた目線を上げたその時。チラリと見えた人影。ふわふわと揺れる毛先、カレーパンの衣のような明るめの茶色。最初はパンのことを考え過ぎて幻覚が見えてしまったのかと思った。しかし、その人影に既視感。そう、新太郎はその人影を何度も目にしたことがある。
その生徒は新年度になりすぐに新太郎の後をついて来るようになった。幸秀は全く気がついていないが、モテに飢えている新太郎は自分に向いている熱視線に気付いてしまうのだ。
真新しい制服に身を包んだ彼はおそらく新入生だろう。三年生の新太郎からしたらまだまだ子供にしか見えない。高校生にとって二年の差というものはとても大きいものだ。かつて一年生だった新太郎も三年生の女子生徒を見かけては大人のお姉さんだと鼻を膨らませていた。
歩みを進めながら時折、後方に目をやる。彼との距離は開くことはない。かと言って近づく事もない。一定の距離を保ちながらこちらに熱い視線を投げかける。
(参ったな……男に惚れられるのは予想外だ)
完全にあの目は恋をしている目。
新太郎は好意のサインをすぐに見抜いてしまう。何故なら〝モテる〟ことに全てをかけてきた男だから。
令和の世において同性に恋愛感情を抱くのを異端という方がナンセンスだろう。しかしそれが自分が対象となると変わってくる。彼には申し訳ないが、新太郎は幼稚園の頃から女の子を口説くことに心を燃やしてきた。
だからと言って好意を無碍にしてはいけない。同性にもモテるというのが真の男というもの。やんわりと彼のトラウマにならないように優しくお断りをしよう。
「……舞木? 購買は諦めるのか?」
いきなり踵を返した新太郎に幸秀が声をかける。表情は相変わらず真顔だ。
「ねぇ、君」
逃げようとした栗毛の少年の腕を掴む。
「ひぃっ!」
「最近いつも話しかけたそうに俺の方見てくれてるよね? 生徒会に用事? それとも、俺?」
「あの、え、えっ、えっと……」
少年は真っ赤な顔をして口をパクパクとするばかり。学園近くにある公園の池の鯉を思い出した。餌を投げると群がってパクパクと口を開閉する。
「あの、これ……おべんとう……」
消え入りそうな声。それと共に差し出された巾着袋は淡いピンクのファンシーな色合い。お弁当を作ってくるなんて今時の女の子よりも奥ゆかしい。
「あ、作ってきてくれたの?」
すると頭がもげるんじゃないかという勢いでコクコクと頷く。健気で可愛い。断らなければならないのが心苦しいくらいだ。
「ごめんね、俺。購買に」
「おっ、お……」
「お?」
いきなり〝お〟を連呼し始める。恥ずかしさで喉がつっかえているようで何度も何度も呼吸を整えながら新太郎に何かを伝えようと必死だ。
新太郎もただそれを見守る。好意を伝えるのはいつだって恥ずかしいものだ。ましてや弁当を作ってくるくらいに気合を入れてきたのだ。
しかし、見守る新太郎の斜め上の言葉が少年の口から繰り出される。
「おがっ、小笠原先輩にっ! 作ってきましたっ!」
「は? え?」
「小笠原先輩に、お弁当……食べて欲しくて」
「え? 小笠原? 小笠原って、おがさわらゆきひで?」
「俺がどうかしたか」
お前、いつの間にそこにいたんだよ。そう突っ込みたくなるくらいに唐突に話に割ってくる。一体これは何なんだ。混乱する新太郎。ただ頷くしか出来ない少年。全く表情が変わらない幸秀。
春の日差しが柔らかく差し込む廊下。異様な空間に耐えきれず目線を外に逸らせたら、ほとんど散った桜の代わりに生まれたての緑が枝を彩り始めていた。
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