十年後ー彩月ー

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「芽衣、お父さん、また来るね」 柄杓(ひしゃく)の入った水桶と日傘を手に私は墓石に向かって小さく声を掛ける。 あれから月に一度は必ずお墓参りをするようになって十年が経った。 あの日の事は今でも鮮明に覚えていて芽衣と雅也が旅立って書物の処分を終えた知恵さんに連れられて家に帰ると母の声が聞こえた。 叔母に背中をさすられながら葬儀の時ですら涙を流さなかった母が芽衣が死んじゃったと泣いていて顔を合わせる事さえロクになかった私を見るなり彩月まで居なくならないでと抱きしめた。 母親の勘というものなのか何だったのかは今もわからないけどあの日の母は霊感なんてないのに確かに何かを感じ取っていたのだと思う。 でも心の病は簡単に治るものではなく引きこもる事はなくなったけど今も一進一退を繰り返しながら母なりに頑張って生きている。 芽衣が最期に伝えてくれた引き出しを開ける勇気がなくて何度も躊躇(ためら)ってはやめてを繰り返して一週間後に(ようや)く私は思い切って開けた。 綺麗好きな芽衣らしく整理整頓されている引き出しの中に写真立てだけが無造作に伏せて入れてあって不自然に思い手に取って裏返すと私と芽衣が並んで写っていた。 その写真を見て驚きと若干の不満はあったけど芽衣が最期に伝えた意図がわかった気がした。 写真は高校の入学式のもので朝から母の代わりに出席すると張り切る叔母から入学式くらいは化粧はやめなさいと叱られスッピンで行くはめになり不機嫌を隠さない仏頂面の私と少し困り顔の芽衣が写っているだけで至って普通のものだ。 いつだったか芽衣の部屋に飾られているのに気付いて私にとっては人生の汚点とも言える不機嫌なスッピン写真だから飾らないでとキツく言ってしまった事があった。 だから私は芽衣がこっそり飾っていたとは知らなくて恐らく部屋を空ける時は引き出しに隠していたはずの写真の場所を伝えくれたのは想い出を大切にしてほしいというメッセージだと思って写真立ての背面を開けると予想通り写真にも芽衣が添えてくれた言葉が書かれていた。 ”大好きなお姉ちゃんと入学式” 芽衣がずっとお姉ちゃんと呼んでくれていた事も嬉しかった私は自分の顔は気に入らないから微妙に隠しつつ今もずっと飾り続けている。 空になっている水桶にもう一度水を入れながらぼんやりと昔を思い出す。 そう言えば一晩で起きた様々な出来事が意外な事に全て偶発的なものと判断されたのは本当に驚いた。 川の氾濫(はんらん)は河川に流れ込んだ工事現場の土砂が水をせきとめた事が原因とされガス管の破裂は老朽化によるもので交通事故はその延長線上で起きたにすぎず火事はタバコのポイ捨てが原因で停電は電力会社の人為的ミスだったと市が発表した事で呆気ないほど早く事態は収束した。 私が体験した地震は当たり前のように誰も知らず友人達も急な出来事に驚いたとか怖かったと暫くは騒いでいたのにあっという間に忘れ去られた。 真実を知らないだけで物事の見方がこんなにも変わると知って驚愕(きょうがく)したのは恐らく私くらいで今となっては覚えていない人の方が多いだろう。
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