黒猫くんの家庭事情

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「……おばあさんから何も聞いてないのか」 「聞いてない。……姪御さんの家に行くって話は聞いてたけど、まだまだ先のことだって言ってたし、家を売るなんて、そんなの、聞いてない。ばあちゃんはずっとあの家に残りたがってたから、親戚にうまく言いくるめられたとしか考えられない。親戚はオレのこと知らないから伝えなくて当然だし、オレだって、……所詮、猫だし」 「そんなこと言うなよ」  ドライヤーの電源を切る。テレビのついていないリビングはあまりにも静かで、外の雨音だけが耳鳴りみたいに聞こえている。ひなたは黙って俯いたまま、唇を噛み締めている。 「……今日、泊まってくか? 部屋少ないから、俺の部屋しかないけど、一応床にマットレス敷けばもう一人寝れないこともないし。親には説明しないといけないけど、まあ適当に誤魔化すから」 「……それは、もうしわけないから、いいよ」 「じゃお前、なんで俺のとこ来たんだよ」 「別にヨシトの家に来たかったわけじゃないよ。家の場所知らないし……ただなんとなく、ぶらぶらしてたら会っただけで」 「どうするつもりだったんだ。雨宿りするとか、ネカフェに泊まるとか、学校の先生に相談するとか、色々あるだろ」 「……そっか、先生……」  学校の先生なら、全員かどうかは知らないが彼の正体を知っている人もいる。緊急連絡先として先生の電話番号も知らされているし、当直の用務員さんもいたはずだ。困ったら彼が頼れる場所はあったはずなのに。本人はそのことすら思いつかなかったようで、俺の話にきょとんとして目を丸くしていた。それだけ精神的に追い詰められていたということなのかもしれないが。 「そだな……じゃ、ちょっと、学校いってくる」 「おいおい何言ってるんだ、台風これから酷くなるんだぞ……ん?」  風呂上がりの格好のままですっくと立ち上がった彼の腕を掴んで、その熱さに思わず眉間を寄せた。 「ひなたちょっと待て、お前熱あるんじゃないか」 「ねつ……? そりゃあ普通のヒトよりは体温高いんじゃねーかな、たぶん」 「そういうレベルじゃない! ひどい熱だ、風邪で済めばいいけど」  掴んだ腕を引き寄せ、体をこちらに向けて、今度は額に手を当てる。  暴風雨の中であんなに冷え切ってたんだから当然と言えば当然だが。ひなたの額は驚くほどに熱くなっていた。風呂上がりで火照っているのだと思っていた頬の赤みは引くどころかさらに増して真っ赤だし、心なしか息苦しそうだ。 「お前とりあえず俺の部屋に来い。親が帰ってきたらとりあえず家出した友達って説明するから」 「……ごめん」 「不可抗力だろ。謝らなくていいから」 「ヨシトに迷惑かけるつもりじゃなかったんだけど」 「迷惑だとは思ってないから、とりあえず寝てくれ頼む」 「寝たらよくなるから……」 「うんそうだな、だから寝ててくれ」  なんだか会話が成り立っていないような気がする。もう少し早く気付いてやればよかった。また学校に行くと言って玄関へ向かおうとするひなたを引き留め、階段の上の自室に案内しようとしたとき。ぐらりと、ひなたの体がバランスを崩して前に傾いた。慌てて手を伸ばし、胸のあたりに手を入れて抱き留め――ようとしたのだが。体重がかかるはずの右手が掴んだのは、中身のなくなった衣類だけ。え、と思った瞬間、その服の中で掴み損ねた柔らかいものが、ぼてんと床に落ちる音がした。 「……うわっ、え、何……」 「みぎゃっ」  尻尾を踏まれた猫みたいな――というかこの場合は高い位置から落とされた猫だろうか――鳴き声が、足元から聞こえた。慌てて見下ろした先には、真っ黒な毛並みで体格のいい猫が一匹、うずくまっている。 「ヨシト、ごめん」 「うわっ喋った」 「うわっとか言うな……オレだよ……」  黒猫の金色の目が、恨めし気にこちらを見上げた。よく見れば長い尾の先は二股に分かれていて、確かにあの日保健室で見せられたあの尻尾だということが分かる。 「ひなた……お前本当に猫だったんだな……」 「頭いたい……あついー……」 「俺、猫の看病の仕方とか知らねえんだけど! 冷やすんでいいのか? 獣医に見せたほうがいいのか? 解熱剤とか飲ませていいのか? あっでもチョコが駄目なら薬も駄目か」 「寝てたら直る……」 「気合で直すしかないのか、それはしんどいな」  ぐにゃぐにゃになった猫を持ち上げて、服と一緒に部屋に運ぶ。家出少年よりは猫のほうが匿いやすいのでむしろ助かった。  クロゼットから座布団と毛布を引っ張り出して、床に簡易ベッドを作って寝かせてやると、ひなたは人の言葉だか猫の声だか分からない言葉でうにゃうにゃ感謝らしき言葉を言いながら潜り込んで静かになった。  台所の冷凍庫に入っていた洋菓子用の小さな保冷剤を持ってきて、ハンカチで巻いて簡易氷枕を作る。ひなたの首元に入れてやると気持ちよさそうに擦り寄った。  眠るひなたをじっくりと観察してみる。彼自身は黒猫だと言っていたが、よく見るとどうやら頭か首のあたりに色の抜けた部分があるようだ。まるで金色に染めたような―― 「あっ、これ染めてる髪の色か!?」 「はずかしいからあんま見ないでくれ……」 「まだ起きてたのか、ごめん。おやすみ」  彼が俺の前で猫の姿になりたくないと言っていたのは、どうやらこれを見られたくなかったかららしい。……黒髪のほうが学校で浮かないんだから、そろそろ染めるのをやめればいいのに。黒髪のほうがきっと似合う。そう思ったが、言わないでおく。  念願のもふもふだが、高熱に苦しんでいる彼を好き勝手に触るわけにはいかない。正々堂々とモフれるように、早く彼の熱が下がればいいと思った。
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