私が十一月に描いた絵

5/7
前へ
/7ページ
次へ
 それは、あの夏。公ちゃんが河原から見える景色を描いた絵。公ちゃんが帰る日、別れ際私にくれた、大切な絵。当時小五だったにも関わらず、その絵はとても繊細でありながら深みのある、素晴らしい絵だった。これを貰って、私もこんな絵を描いてみたいと思ったんだ。 (またね!)  お別れの日。車で遠ざかっていく公ちゃんに一言だけでも伝えたいと強く思って、必死に叫んだあの言葉をきっかけに、私は、再び声を出す事ができるようになったんだ。 (俺は、楽しんで描く事も大事なんじゃないかって。先輩ならきっと、そうする事でもっといいものが描けるようになるんじゃないかって。そう思ってるだけです)  孤独の檻の中でもがきながら絵を描く私に、南君はそう言った。  私は自分で作り出した自分らしさという幻想に囚われ、大切なものを失い続けていたんじゃないだろうか。……ううん。本当はそれにとっくに気付いてたのに、それを認めるのが怖くて、止まれなくなってしまっていたんだ。  コンペで特別賞を獲った抽象画。それが、私が使い果たした青春の対価。もし、それで大賞を獲っていたら。私は、気づかないふりをしたままだっただろう。自分らしさを盾に、あらゆるものから目を背けていた事を。あらゆる価値観を否定してきた事を。それがかえって、本当の自分らしさから遠ざかってしまう事を。  自分らしくないからと、私は辞める選択をしてきた。離れる選択をしてきた。誰かと似た絵を描くのが嫌だった。誰も描いてない絵が描きたかった。でも、本当の自分らしさはきっと、自分以外の価値観を認めて、否定せず試してみて、そうして作り上げられていくものなんだ。その事に自分で気付くために、私はきっと長く苦しんできたに違いない。それが私の、青春の代償なんだ。 (千裕に連れて行ってもらった社からの風景を描くって言ってたよ。今は紅葉も綺麗だからね)  公ちゃんがくれたこの絵は、私が小さい頃からずっと見てきた風景だ。川のせせらぎも鳥の鳴き声も。草木や虫達の匂いも。鮮明にこの胸の中に焼き付いている。  私は、文化祭の絵のテーマを決めた。公ちゃんのこの絵を元に、秋の風景を思い起こしながら描く事。久しぶりの風景画にして、心の中の光景を抽象的に具現化するという、これまでの経験を活かした合わせ技だ。  文化祭まで二週間。充分間に合う。  私はお腹が空いていた事も忘れて、自分の熱が冷めやらないうちに画材道具を手にした。その高揚感は、美術の先生に物凄い才能がある、と言ってもらった時以上に、私の創作意欲を昂らせていた。  それからの毎日は、不思議と周囲の景色が違って見えるようになった。  キャンパスで赤や黄に色付く木々の葉を愛でて幸福を感じたし、吸い込まれそうな秋空を見上げて深呼吸をするようになったし、楽しそうに話す他の学生達でさえ微笑ましく思えるようになった。  だって、楽しかったから。絵を描く楽しさを、本当に久しぶりに取り戻せたから。  ついに文化祭のために描き始めた私の絵を見て、南君は大層喜んだ。 「南君に言われて具象画を描くわけじゃないからね」と強がりを言いながら、私は活き活きと描き続けた。  他の部員達とも、ほんの少しだけど、進んで会話するように努める事もできた。  やがて秋も深まり、冬の足音が聞こえてきそうになった頃。  ついに、文化祭当日を迎えた。  展示の準備を済ますと、少し時間があるから一息入れようということになった。私は来場者用の椅子に腰掛けて、フウと息をついた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加