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それを聞いて、私は思わず黙ってしまった。
「あいつ、お前の絵をえらく気に入ってただろ。今年部に入ってから、相手にされなくてもしょっちゅう話しかけてたし」
「……うん」
部長は弁当の蓋を開けると、勢いよくハンバーグにかじりついた。
「嬉しかったんだろうな。あの絵を描き始めてから、お前、なんか明るくなったし。作品自体も、誰が見てもわかるぐらいの良い絵だし」
「……うん」
うまく言葉が見つからず、私はただ頷く事しかできなかった。
「あんまり偉そうなこと言えないけどさ。お前なら、画家で食っていけると思うぜ。……まぁあんまり無理しない程度に、頑張れよ」
部長はそう言うと、白米をこれでもかと口の中に詰め込んだ。
「……うん。ありがと」
私はそれ以上、何も言えなかった。だけど、心にはあたたかい気持ちが溢れ出していた。
卒業まで、もういくらも日が無い。
私はその時初めて、部員のみんなと別れるのが寂しいと思った。
休憩を終えて部室に戻ると、客足も随分落ち着いてきているようだった。
「あ、先輩」
部室内を見渡していると、受付の机の前にいた南君が私を見つけるなり、こちらへやってきた。
「さっき、先輩の知り合いの人が来てましたよ」
「私の知り合い?」
一体誰だろう。
「なんていうか、落ち着いた雰囲気の男性でしたよ。そんなに俺らと歳変わらないと思いますけど」
……まさか。
「い、いつ来たの、その人」
「二十分くらい前かなぁ、俺に話しかけてきたんですよ。先輩の絵のキャプションを指差して、この絵の作者さんは今いますか、って」
二十分……。そんなに前なら、もう……。
「休憩中なんで呼んできます、って言ったら、休憩してるなら結構ですって。それで……」
「それで?」
「その人は、楽しそうにこの絵を描いてましたか、って。だから、言ってやりましたよ。もちろんです!ってね」
私はそれを聞いて、胸の奥から、何か熱いものがじんわりと込み上げてくるのを感じた。
公ちゃんだ。きっと、公ちゃんに違いない。おばあちゃんに話を聞いて、わざわざうちの大学まで……。
そう思いながら受付に向かうと、すぐに名簿帳へ視線を走らせた。一つ一つ、確認する。
……違う。この人も、違う。
急いでページを捲る。
……あった!塚田、公平。公ちゃんだ!やっぱり……来てくれたんだ。
「先輩、もしかしてあの人、彼氏ですか?」
私を追ってきた南君が、恐る恐る聞いてきた。
「まさか。私の絵の、師匠みたいなものかな」
名簿の名前を見つめたまま答える。
「へえ、先輩の師匠ですか。……そりゃ、凄い人だ」
どちらにしろ、という感じで気後れしたような表情を浮かべて、南君は言った。
「……映画。例の、監督の。まだ上映してるのかな?」
「はい?」
少し気恥ずかしくて、彼から視線を外して続ける。
「気が変わったの。……観に行きたいわ」
私の言葉に、南君は信じられない、といった様子で目を丸くした。
「あ、あの!す、すぐに調べますっ」
そう言って慌ててスマホを取り出す彼を尻目に、私は軽やかな足取りで部室の窓へと向かった。
いつかまた、会えるかもしれない。
もし会えたなら、公ちゃんに話をしよう。
私が十一月に描いた、この絵の話を。
秋の終わりに窓から見上げたその空は、今まで見てきたどんな空よりも広くて、美して、優しくて……まるで、今の私の心を映し出すかのように、どこまでもどこまでも、瑞々しく澄み渡っているのだった。
ー了ー
※千裕と公平の出会いの物語、「僕が八月に帰る場所」をぜひ併せてご覧下さい。
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