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そして次の年、もう一人のパパ-康平パパと結婚して、すぐさま国際児童養子縁組の長いリストに登録されていた僕、アレックスを引き取った。この時僕は四歳。ドラッグ中毒の僕の両親は、もう顔も良く思い出せないけど、ほとんど育児放棄に近い状態じゃ無かったのだろうか、と考える。施設に入る前の、両親と過ごした時の記憶はほとんど覚えていない。どんな家に住んでいたのか、どこに出かけていたのか、全く分からない。だけど、いつもすごく寂しかったような気がする。
僕はまだ、映画館に入ったことすら無かったし、まして俳優の名前なんて一人も知らなかったから、自分を引き取ろうという人がどんな人なのかも知らなかった。それでも、ある日から施設のセンター長や年長の他の子どもたちの僕を見る目が一変したことは覚えている。施設にいた時代に僕の自我がどこまで芽生えていたのかもう覚えていないけれど、自分の人生のページが大きく開かれるという予感があった。そのころの僕が自分を取り巻くあらゆる物事や世界の成り立ちについて、どう感じ、どう考えていたか思い出すのは難しいけど、その背中がチクチクするような、特別な感覚だけは、ちゃんと覚えている。
康平パパは、日本人学校で理科を中心に教えている。拓也パパとは大学が一緒だったらしい。正確には、アルバイト先で知り合い、仲良くなったそうだ。パパと結婚するまでは、地元の高校で学校の先生をしていたらしい。公園でいつもキャッチボールとかサッカーとかを一緒にしてくれるのは、康平パパ。拓也パパは文化人らしく、家でピアノを弾いたり、本を読んだりすることが好きみたいだけど、康平パパは真逆だ。趣味だけじゃない。康平パパは落ち着いた性格だけど、拓也パパはコロコロ感情が変わる。掃除や整理整頓が好きなのは康平パパで、料理がシェフ並みなのは拓也パパ。康平パパはマーベルコミックの映画が好きで、拓也パパはDCユニバース派。拓也パパは、世界中の人が知っているスーパースターだけど、康平パパは普通の学校の先生。
それと、普段はあまり康平パパ、拓也パパとは呼ばない。話したい方にパパと呼びかけるとほとんど分かってくれるから、どうしてもややこしい時だけは名前をつける。フォルクスワーゲンのおじいちゃんと僕らがこれから向かう家で待っているおばあちゃんは、康平パパのパパとママってわけだ。息子の結婚と僕の養子受け入れに合わせて、しばらくアメリカに暮らすことになった。多くの日本人と同じように英語はほとんどしゃべれないけど、サンタモニカの街は気に入ってるみたいだ。おじいちゃんはずっと一緒にいたから考えたこと無かったけど、還暦近くになってから、太平洋の向こう側の遠い国で生活することを決めたおじいちゃんとおばあちゃんはどんな気持ちだったんだろうって、最近思う。
そして、たった三年でトップ俳優の仲間入りをしたパパはあっさりと第一線を退いてしまった。第一線を退いたといっても、引退してしまったわけじゃない。最初の一年は、家族三人での時間をたっぷり過ごし、僕を保育園にも預けなかった。映画にもドラマにも出ていなかった。多分三年間にもらったギャラとで食べていたんだと思う。そのあとは基本的に映画に出るのは年に一本だけ。それもすっかり脇役ばかりになってしまった。脇役でもしっかりと評価されているけれど。拓也パパは僕たち家族を絶対にメディアに出さなかった。パパラッチには、康平パパと子どもたちの素顔をさらせば、法的手段も辞さないと強く主張した。これまでに、数々のリアリティーショー出演のオファーが来たけど、全て首を縦に振ることは無かった。
「おじいちゃん、今日車の練習したい。」
「ええぞ。じゃあ帰ったらばあさんにチビたちを預けてから、すぐ行こうか。宿題はあるんか?」
「あるけど大丈夫。夕飯まで運転しよう。」
僕は、長年の幼なじみという関係を経て、最近付き合い始めたジェニファーとドライブデートすべく、車の運転を練習中だ。自動運転機能搭載の車は徐々に普及してきたけど、うちは緊急時や長距離ドライブの時だけ自動運転に切り替わるシステムにしている。僕はちょっとしか運転したことがないけど、自分で操縦する方が好きだ。男は状況をコントロールしたい生き物だからかもしれない。今は、おじいちゃんやパパが隣にいないと運転できないけど、早く一人で車に乗れるようになりたい。一人で運転できれば、男としてステップアップする気がするんだ。そして上手くなったら、夕暮れどきの海岸沿いでのんびり車を走らせたい。夕日に染まる太平洋は何度も見てきたけど、好きな女の子と二人で見る海は比べ物にならないほどキレイだろうな。
「お兄ちゃん!!リサも運転したいよ。」
「お前はまだ小さいんだから無理だよ。後、七年ほど待ってな。」
リサが小さな頬をぷうっと膨らませて、後部座席にドスンと体を落とした。弟たちや妹たちは可愛いけど、鬱陶しく感じることもある。一七歳にもなって、ずっと子守をしているわけにもいかない。それに、最近はおじいちゃんと話したいことが多い。自分の中にしまっておきたいことも増えたけど、パパよりもおじいちゃんに聞いてほしいこともある。女の子のこと、将来のこと、特に僕のパパとパパのことで。
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