十二月六日 かじかむ指先のために

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 耳に馴染んだクリスマスソングがどこからともなく聞こえてくる。雪の結晶が躍るショーウィンドー、あちこちに掲げられたメリークリスマスの文字、街路樹に取りつけられた銀色の星々。  街は華やかな音と色彩に溢れているのに、店を出た瞬間から憂鬱な思いが心を侵していく。  旭は指にひりつく痛みを感じて、目の高さに持ち上げた。荒れた指にはうっすらと血が滲んでいる。  荒れた指を目にすると、龍生に手をつかまれたことを思い出す。龍生はこの手を見てどう思ったんだろう。みっともない手だと思われただろうか。  確かにあかぎれだらけの手は綺麗とは言えないが、旭はこの手が嫌いじゃなかった。がんばって働いた、植物の世話をした、その証だから。  はあ、と指先へ息を吹きかけて、手の平で擦る。背中を小さく押されたのはそのときだった。  旭はびくっとして振り返った。思わず仰け反ったのは、すぐ背後にトナカイの着ぐるみが立っていたからだ。 「え、あ、トナカイ……さん……」  トナカイは風船の束を片手に持ち、もう片手を旭へ向かって差し出した。焦茶色の手には缶コーヒーらしきものが握られている。  受け取れと言わんばかりに手を突き出されて、旭はトナカイの顔と手の中の缶を交互にながめた。 「え、と、何ですか?」  缶を受け取れ、ということなのかもしれないが、見ず知らずのトナカイが旭に缶コーヒーをくれる理由がわからない。  旭の疑問に返ってくる言葉はなく、業を煮やしたように缶をぐっと腹へ押しつけられた。 「ちょ……く、苦しい……」  しょうがなく缶を受け取る。缶のサイズからコーヒーかと思ったが、それはホットココアだった。かじかんだ手に熱いほどのぬくもりが伝わる。  トナカイは缶を渡したことで満足したのか、それともあまり持ち場を離れていられないのか、まだ途惑っている旭を残してさっさと踵を返した。 「あ、ありがとう、トナカイさん!」  わけもわからずお礼と言うと、トナカイはぴたりと足を止めた。が、振り返ることなく店の前へもどっていってしまった。  アパートへ着くまでの間、小さな缶は旭の冷えた手をずっと温めてくれた。  ひょっとしたら、旭が指先を擦っていたから缶のココアをくれたのかもしれない。どうして見ず知らずの旭を気づかってくれたのか、それはわからないけれど。  温度のない部屋で少しぬるくなったココアを飲みながら、旭は身体だけではなく心まで温まっていくのを感じていた。
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