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「ありがとね、茅野ちゃん。俺のこと助けてくれるの、茅野ちゃんだけよ」
軽薄な口調だった。龍生がどういう表情をしているのか、俯いている旭にはわからない。
「んじゃ、みんなそろって学食にいきましょー」
龍生の爪先が視界から消える。龍生が教室から出ていったら顔を上げよう。そう思っていたのに、
「なあ、茅野、俺にも金貸してくれる? 俺も財布忘れちゃったんだわ」
龍生ではない声が聞こえて、旭はぎくりとして顔を上げた。
内尾(うちお)という名前の男子生徒がにやにや笑いを浮かべて、旭を見下ろしている。龍生を取り巻いている生徒のひとりで、あまり素行がよくないという噂を耳にしたことがあった。
「あ、じゃあ、俺も。財布忘れちゃったみたいだから、ついでに貸して」
スラックスのポケットを探りながら言ったのは龍生の取り巻きのひとり、久能だ。
「え、あ……」
「ほら、財布出してみろって」
内尾は急かすように手を差し出してきた。
もしも財布を出そうものなら、残りの金をすべて持っていかれるだろう。それに、一度でも渡してしまったら、龍生のように何度もたかってくるかもしれない。
今でさえ金銭的余裕などまったくないのに、複数人から金を巻き上げられたらまともに生活ができなくなる。
旭が顔を強張らせながら立ちつくしていると、内尾は苛立ったように舌打ちした。
「ほら、とっとと出せよ。まさか、鳥谷には貸しといて、俺らには貸せないなんて言わないよな」
「あ、あんまり持ち合わせがないなら、俺はいいよ。他の奴に借りるから」
呑気な声で久能が言う。ひょっとしたら彼はほんとうに財布を忘れただけなのかもしれない。が、内尾はそうじゃないはずだ。
どうしよう。財布を出しても、出さなくても、どのみち無理やり財布を取り上げられる。それくらいならいっそ素直に差し出したほうがいいかもしれない。だけど――
「あー、うっちー、茅野ちゃんもう金持ってないよ。千円札一枚しか入ってなかったもん」
龍生の声が言った。
ハッとして目を向けると、友人たちを引きつれた龍生が出入り口で立ち止まって旭たちをながめていた。
「マジかよ、たった千円札一枚って、どれだけ貧乏なんだよ、茅野」
「鳥谷がいっつもたかってるせいじゃない?」
「おまえ、ほんっと極悪人だわ」
「ええっ、俺のどこが悪人よ。生まれたての赤ちゃんのように清らかな心の持ち主なのにー」
龍生の言葉に周囲のクラスメートたちがどっと湧く。
「うっちー、久能ちゃんも俺が奢ったげるから、学食についてきなさい」
「嘘、やった。鳥谷先生、どこまでもお供します!」
久能は飛び跳ねんばかりに喜ぶと、さっさと旭から離れて教室のドアへ向かった。内尾もその後をついていく。
旭は龍生の後ろ姿を呆然とながめた。
どうしてそんな嘘を……?
龍生が旭を助ける嘘を吐いた理由。考えてみたがひとつも思い当たらない。
クラスメートたちは旭への関心をなくしてしまったらしく、誰の目も旭へ向いていなかった。
が、たったひとつだけ旭を見据える眼差しがあった。
巻田歩(まきた あゆみ)。男子生徒たちの人気が高く、いつも龍生の隣にいる少女だ。
目と目が合い、きつい眼差しにぎくりとする。
歩が龍生の彼女なのかどうかなのか、旭は知らない。ただ歩がずっと龍生を追いかけているという話を噂で聞いたことがあった。
歩はひときわきつい目つきで旭を睨むと、それきり興味をなくしたように顔を背けて教室から出ていった。
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