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十二月四日 真っ赤なお鼻のトナカイさん
ホームルームが始まる少し前、旭は現代国語の教科書を取り出して意味もなくぱらぱらとめくっていた。
別に勉強が好きなわけじゃない。暇つぶしのためにめくっているだけだ。
ぼんやり椅子に座っていると、聞くともなしにクラスメートたちの会話が聞こえてくる。
窓際のいちばん前。クラスメートたちはいつものように龍生を取り囲み、楽しげに笑いながら会話をしている。
大勢で喋っているのに、龍生の声だけが妙にはっきり耳に届く。飼っている犬の話、プレイ中のゲームの話、隣のクラスにいる友人がドジを踏んだ話。
龍生の話はくるくるとめまぐるしく取り留めがない。
旭はうっかり龍生と視線が合ってしまわないように、手元の教科書へ視線を落としていた。
龍生の声がふいに聞こえなくなったことに気づいたが、他の生徒たちの会話と笑い声は変わることなく続いていたため、喋り疲れて聞き手に回ったんだろうと思っただけだった。
がたんと椅子の揺れる音が聞こえて、旭はなんとはなしに顔を上げた。その途端、表情も心臓も凍てつく。
向かいの席の椅子を後ろ向きに跨ぐようにして、龍生が座っている。
龍生が旭へ目を向けていたせいでまともに視線が合ってしまい、旭は慌てて視線を教科書へもどした。
また金を借りにきたんだろうか。今日は盗られてもいいようにと思い、財布には五百円玉がひとつ入っているだけだ。それだって旭には貴重な生活費の一部だったが。
「茅野ちゃん、予習? まっじめだねー」
揶揄うような声。旭の成績は中の上といったところだが、比べて龍生は授業態度もそれほどよくなく、放課後も友人たちと遊び歩いているようなのに、テストの成績は常に二十位以内に入っている。
やらなくてもできる龍生からしてみれば、やったところで大した成績が取れるわけでもないのに授業前の予習など馬鹿馬鹿しく見えるのかもしれない。
旭は下を向いたまま、まともに見てもいない教科書をぱらりとめくった。
その手をいきなりつかまれた。ぎょっとして顔を上げると、龍生は旭の指先を見つめていた。
「前から思ってたけど、茅野ちゃんって指荒れてるね。なんか荒れるようなことやってるの?」
花屋の仕事は水仕事が多い。それに加えてこの季節は空気が乾燥している。気がついたときには手荒れがひどくなっていた。
実春からもらった塗り薬をつけているが、それでもどうしても荒れてしまう。
旭は手を引っこめようとしたが、龍生はきつくつかんで離さなかった。
「……は、なして」
龍生を前にすると石が喉につまったみたいに声がまともに出せなくなる。そのくせ心臓は慌ただしく動き始めるから息苦しくてたまらない。
いま訊いてしまおうか。昨日の昼休み。旭を庇うような嘘をついたその理由を。
あれから家に帰って色々と考えたが、旭が出した結論は「他の奴まで金を巻き上げるようになったら、自分にまわってくる額が少なくなるから」というものだった。それ以外に龍生が嘘を吐く理由は見つからなかったが、一粒の砂ほどの期待――あれは純粋に旭を庇っただけなのかもしれない、という思いが心の底に沈んでいる。
「人の訊いてることに答えろよ。それとも、俺とは口もききたくないのかよ」
苛立ちを剥き出しにした声にハッとする。その声は旭を叱責するときの父親のものとよく似ていた。心臓がぎりりと締まるように痛む。
「あ、あの――」
花屋でアルバイトをしている、と話したら彼はどういう顔をするだろう。男のくせにと馬鹿にするだろうか。
それとも少しは関心を持ってくれるだろうか。
旭はこくりと喉を鳴らすと、龍生の不機嫌そうな顔を見つめながら恐る恐る口を開いた。
「お、おれ――」
「ねえ、龍生、これ見て、これ。本気で笑えるから」
さえぎるように響いた声。声の主は歩だ。
大きく開いた雑誌を振り上げ、龍生を手招きする。
「えー、なに、俺と茅野ちゃんの愛の語らいの邪魔しないでくれない」
「いいから、ちょっときてってば」
一瞬、歩と目が合った。蔑むような冷淡な目。背筋に冷たいものが落ちる。
歩の目は、あんたなんか龍生と言葉を交わす資格もない、そう無言で告げていた。
「しょうがないなあ」
龍生は溜息をつくと、旭から手を離して仲間たちの元へもどっていった。
けっきょく花屋で働いていることは龍生に話せないまま終わってしまった。
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