十一、美しい姫君

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十一、美しい姫君

すっかり日が昇り辺りを金色に染める朝の事だった。目の前にいるのは誰だろう、とヤエはただただ呆然と少女を見つめた。村人達はおおっと歓声を上げる。肩までしかなかった髪は大きく結い上げられ、見た事もない華美な花やら飾りやらで彩られていた。額には何故か点が描かれ、見慣れたはずの目元は普段より少し切れ長になった気もする。唇は鮮やかな紅が塗られて何とも言えない女性らしさを醸し出している。そして極めつけは衣装。赤や橙、緑の輝くような布をふわっと身に纏うその姿はこの世のものとは思えなかった。 もし神が目の前に現れたとしたらきっとこんな風なのだとヤエは思った。 「ヤエ、いくらおれが別嬪だからってそんな見なくたっていいだろ。」  少女が少し恥ずかしそうに頬を染めた。聞き慣れた声でヤエは漸くこの少女が紛れもなくオトなのだと実感した。 「ああ、夢を見ているようだ。オト、あの若様に見初められて本当に良かったなあ。」  オトの母が目を潤ませながら彼女を祝福した。母がそう言うのも無理はない。今日はオトが村の祭りに現れたあの青年の元へ、嫁ぎに行く日なのだから。  話は祭りの日に遡る。話を聞くと、青年は「太宰府」の「帥」(すい)と呼ばれる役職に就いているらしく、丁度帰路につくところで村の祭りを目撃し、そこにいたオトの美しさに惹かれたのだという。生まれてから一度も村の外に出た事のない、一人の農民でしかないヤエにとっては「太宰府」も「帥」も何の事やらよく分からないままであったが、とにかくオトが自分達より遥かに身分の高い男に選ばれたのだという事実は理解できた。 「しかし、この小娘は若様には勿体ないのでは。平気で無礼を働く、汚らわしい庶民でしかないのですよ。」  彼の隣に立つ役人らしき中年の男が青年を嗜めた。その口調とは裏腹に苦々しい表情である。 「この娘を選んだのは私だ。立ち居振る舞いは私が教えよう。その程度、彼女の美しさに比べれば何てことはない。」  青年が澄んだ目できっぱりと言い切ったので、男は黙るしかなかった。 「ヤエ、村の者は皆、この娘が私の妻になる事を喜んでいるんだ。君はどうだい。」  ヤエは一瞬言葉に詰まる。役人に自分の言葉が届けられる事は金輪際ないと思っていたので、自身に問いかけられるとは思っていなかったのだ。 「オトは、村の皆が少しでも楽になればいいと言っていたんだ。それが叶うなら、いいんだろう。」 「これっ。若様になんて口をっ。」 「いいんだ。私は構わない。」  ヤエの言葉に激昂した男を今度は青年が嗜める。それでも男は何か言いたそうに口をもごもごしているが、青年はヤエに向き直り、 「それなら、娘は私が貰おう。無理やり連れていくのは気分が悪いからね。勿論、この村の生活も心配いらないよ。」  その言葉を青年が口にすると、村中が歓喜に包まれ人々はわあっと声を上げた。  それからわずかひと月ほどで話は進み、今日オトは太宰府に向けて青年と共に旅立つ。外には既にオトが乗る輿(こし)と馬が用意され、多くの運脚の男たちが準備を急いでいた。 「あ、若様っ」  オトの母が青年を見つけ、駆け寄って跪いた。 「こんな恥知らずの娘ですが、若様、どうかあの子をよろしくお願い致します。」  まるで命乞いでもするかのような声で懇願すると、青年は腰を屈めて彼女と視線を合わせ、 「この娘を、誰よりも美しい姫君にして見せよう。」 と目を細めた。それを聞いた彼女はうっうっと嗚咽を漏らす。何度も見たこの光景ももう最後なのかと、遠目で見ていたヤエは改めてオトとの別れを実感した。ふと彼女のいる方向を見ると、ササとリュウがオトに何かを言っている姿が見えた。ササは涙を流しながら鼻を啜り、リュウはというと小さな身体を震わせて今までのお礼を伝えているようだった。 「ヤエ。」  振り向くといつの間にかオトがいた。気のせいか、少しだけ目が赤くなっているように見えた。 「おれ達、きっともう会わないだろ。これを渡しておきたかったんだ。」  そう言って彼女から手渡されたのは花弁を模した耳飾りだった。手のひらでころんと転がったそれは、米粒を少し大きくした程度の大きさである。 「随分前におっ母から貰ったものなんだ。この村からは何も持っていけないから、お前にやるよ。」  ヤエはしばらくそれを見つめ、胸に何かがこみ上げてくるような、詰まるような気持ちでいたが、 「ありがとう。大事にするよ。」  とだけ返した。声が震えないようにしていたのは秘密だ。 「おーい、出発だっ。」  運脚の男の一人が声を上げた。 「もう行くよ。」  オトは青年と共に輿に乗せられ、間もなく馬や人が歩き出した。人々は「元気でやれよ」「しっかりな」などと大声を上げ、彼女との別れを惜しんだ。 「オト姉ちゃん、元気でやるんだぞお。」  先ほどから涙をこらえていたリュウの瞳からついに涙があふれ、力いっぱいの声を出した。オトの母は最早声すら出せず、ただただぼやけた視界に映る娘を見送るしかなかった。  ヤエは、何も言えなかった。  皆が寝静まった夜、ヤエは月明かりの下耳朶に小さな穴を開けた。鋭い痛みが走るが、それをつければ自分に空いた穴が埋められるような気がした。長い時間をかけ、漸く耳飾りが耳朶に入るがそれは開いたまま。そこにあったのは痛みと、雲一つない夜空から降る雨だった。
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