11人が本棚に入れています
本棚に追加
二、ある日の畑仕事
今日もいつものように仕事に取り掛からなくてはいけない。畑を耕し、稲を作らなければ生きてはいけない。それが当たり前の世では例え暑かろうが寒かろうが、昨日の疲れが残っていようが起き上がらなければいけない。それは少女とて例外ではなく、今日も決して大きくない身体で働いていた。
そんな中でも少女はふとした瞬間に昨日の出来事を思い出していた。
(隣村のあの少年、村の人達の話とは全く違っていたな。顔は良く見えなかったが、水のせせらぎのような声をしていたな。)
そう思い返すたびに少女はあの声をまた聞きたいとこっそり願うのだった。
「おい、何ぼさっとしてんだ、さっさとやらんかっ。」
背後から怒鳴り声が少女の耳に入った。思わず振り返ると、大量の水が入った桶をせっせと担ぎながらこちらをじろりとにらみつける父の姿があった。はい、とだけ小さく返事をして少女はまた仕事に戻った。どうも頬の内側にある皺が最近やけに目立ってきた気がする、と思いながら。
「全く、あの親父、普段は威張り散らしといて、お役人様がくればへいこらしやがって。」
「そうだ、夜になれば酒ばかりのみちらかして。恥ってもんがないんかね。」
丁度少女の右隣で畑を耕していた中年の男二人が、父をああだ、こうだと愚痴を小声でぶちまけているのが耳に入った。確かに、少女の父は里長が来れば何とか気に入ってもらい、税を減らしてもらおうと媚びを売っているのは誰の目にも明らかであるし、夜になればあるだけの酒という酒を飲み尽くした挙句、気が大きくなって妻や娘に手を上げるのは日常茶飯事である。
「なあ、嬢ちゃん、あんな愚図をおとっちゃんにもって、かわいそうになあ。」
男の一人が少女の頭に手をやり一人うんうんと頷いている。少女からすればそんな同情は所謂「大きなお世話」というものであり、特に不幸とも感じていない事なのだ。彼女にとってみれば、勿論、父の酒飲みがなくなるのならそれに越したことはないのだが。
「おれのおっ父がああなのは昔からだ。なんも思わねえよ。」
「そうか、お前は強い女だ、ヤエ。きっといいおっ母になるさ。」
男が彼女の頭をぽんぽんと軽く叩き、少し微笑んだ。その表情はどこか関心と諦めが混じっているかのようであった。
「でもおっさん、おれは…。」
「ヤマトッ。ぼさっとしてねえで、水汲みでも手伝えやっ。」
ヤエが言葉を続ける間もなく、父が男のもとへ寄り、これまた怒鳴りつけた。
ちっと舌を鳴らし、ヤマトと呼ばれた男は畑を耕しに戻っていった。
ここで突っ立っていれば自分もまたどやされるのは火を見るより明らかだ。ヤエも種を蒔きながら気の遠くなるような広さの畑を歩きはじめた。
最初のコメントを投稿しよう!