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五、再会
その日は雨が降っていた。雨の降る日は多少差があれど冷えるものだが、今年の寒さは一層増しているようだった。その証拠に、ヤエとその家族は藁ぶき屋根の家でガタガタと震え、身を寄せ合っていたのである。
「おっ母、寒いよお。」
「おれ、凍えて死んじまう。」
ササとリュウが呟く。
「耐えろ、寒いのは皆おんなじなんだ。」
ヤエが二人を𠮟りつけた。ヤエとて、死んでしまいそうなほど寒いのは同じなのだ。
「ああ、ああ、もう無理だ。俺が死んでまう。おい、どうにかならんのかっ。」
父がわあわあと喚く。
「できないわよ。困ったねえ。これじゃあ、火を起こすにも薪が使いもんにならんし…。」
母は外の様子を見やるも、やがて諦めて視線を戻した。彼らは火を囲んでそこに手を差し出しているものの、そんな方法で暖まるわけもなく、ただただ喋って凍死するのを防いでいた。
だが火の力は馬鹿に出来ない。やがて暖かい空気が家中を満たし、凍えも次第に収まってきた。父の喚きもなくなり、ほっとしたのか、ヤエはうつらうつらと、夢の中に入っていった。
気が付くとヤエは、山のふもとにいた。雨はすっかり上がり、空は綺麗な青という青を映し出している。先ほどまで土砂降りだったとは思えないほどである。
(俺はなぜここにいるんだろうか。またササを探しているわけじゃあるまいし。)
ふと、ヤエは自分が呼ばれているような気がした。叫び声が聞こえたわけでもどこかへ行けと言われたわけでもないのだが、何故か、自分は目の前に見える、この山の中へ入らなくてはいけないような、そんな気がしたのだ。その勘を信じ、一歩踏み出す。
雨の後の山道は危険だ。土はぬかるみ、足元が安定しない。爪の間にも容赦なく泥は入ってくる。時折ぐらつく身体を、手で支えるため、四肢はすっかり泥だらけだ。それでも、進まなくてはいけなかった。ただただ、導かれるままに一歩、また一歩と踏み出していく。
そしてたどり着いた場所に、彼女は見覚えがあった。それはあの夜、少年と出会った洞穴だった。以前とは違い、中は随分明るい。だがそこに誰かがいるわけでもなかった。
(なんだ、誰もいないじゃないか。)
そう思ったときだった。
「やあ、随分と久しいじゃねえか。」
聞いたことのある声がヤエの耳に届いた。びくっとして振り向くと、背後にいたのは自分と同じくらいの背丈の少年だった。
「あん時は顔も見えなかったからなあ。おれをわすれちまったんじゃあ、ないだろうな。」
少年は笑う。ヤエはただ驚いた顔をして黙っていた。またせせらぎのような声を聞けたことが、どこかで嬉しかった。だが、それを言葉にするほど喋りは得意ではなかったのである。
「…なんでおれの顔を知ってるんだ。会った時は夜だろう。」
何とか絞り出した言葉は、小さな疑問だった。何しろ、彼女は少年の顔がよく見えなかったのだから。
「おれの村のやつらは皆、夜目がきくのさ。」
それはあっさりと彼の口から告げられた。なるほど、それならこちらを知っていても不思議ではない。
「…おれ、誰かに呼ばれたような気がしたんだ。ここに来なくちゃいけないって。」
「きっと、おれが会いたいと、思ったから、だろうな。」
ヤエは少年の顔を二度見した。たった一回しかあった事のない相手に会いたいとはどういうことなのか、ヤエには分からなかった。少年はそんな彼女を見ると、ふいと顔をそらした。その耳は、ほんのりと赤く染まっていた。
「それは、どういう意味なんだ。」
「…まあ、それより、おれ、お前の名前、聞いてなかったな。」
少年が話をそらそうとしている事をヤエは理解したが、あまり問い詰めるのもかわいそうだと思い、それに乗ってやる事にした。
「おれ、ヤエっていうんだ。お前の名前は…。」
「…タツと呼ばれているよ。」
タツが顔をヤエのいる方向に戻し、微笑んだ。記憶はそこで途切れた。
ヤエが目を覚ますと、随分と外が明るい。見やると、空が青々としている。知らない間に雨が上がっていたのだ。その光景は、ヤエにあの夢を思い出させた。先ほどの光景が頭の中を巡る。
(行かなきゃ。)
そう思ったときには、身体が既に動き出していた。どろどろとした山道をものともせず、あの夜の、夢の中の洞窟へ向かった。
そうしてたどり着いたその場所に、少年、タツはいた。
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