六、寄合

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六、寄合

「ああ、お前はタツか、夢で見た…。」  ヤエは、まるで自分たちが現でも会うのが必然だったように思えた。少し細めの目と、すっとした鼻筋が特徴的な彼を見て、自分がずっと会いたがっていた人はこんな顔をしていたのか、と思わずまじまじと目の前の少年を見てしまった。 「お前は、ヤエか。嗚呼、また会えるとは、思わんかったなあ。」 やはり濁りのない川のような声だ、と彼の声を聴いたヤエは思った。しばしの間、二人は交わす言葉もなく、互いを見つめ合った。やがてタツが言いづらそうにこう切り出した。 「おれ達は会えた。でもこれが村の奴らに知られれば、生きてはいられなくなるんじゃねえか、ヤエ。」  彼の表情に陰りが見えた。ヤエに会う事、村の暗黙の掟を守る事、彼にとってはどちらかを捨てるというのはできないのであった。 「ああ、きっとそうだろう。だが、」 ヤエは澄んだ目をタツに向けて続ける。 「おれの死んだじっちゃんが言ってたんだ。人はあっという間に死んじまう。これと思ったもんは、逃がしちゃならんと。それはおれ達、人も同じじゃないのか。」  その言葉を聞いたタツは、はっと目を見開く。まさしく目から鱗が落ちたような気持だった。 「お前は、おれの妹を助けたんだ。それは間違いねえことだ。隣村のもんであってもだ。」 「…そうだ、ヤエのいう通りだ、きっと。」  タツは口元に弧を描き、目をさらに細め、先ほどまでとはまるで違った、柔らかい表情を見せた。ヤエは、まるで突然鮮やかに開いた花を見ているような気分だった。そしてこの出来事は、彼女の心の中に少年タツをより一層強く焼き付けたのである。 蝉の鳴く季節。日は田植の頃に比べ強くぎらぎらと輝き、村全体をむわっと熱気と湿気で覆った。人々は、畑や田を行き来し、自分たちの、そして里長達に納める米や作物をせっせと育てていた。  そんなある日、ヤエ達は長老の呼びかけで、村の中心に集まる事になった。 「突然なんだろな、長老様は。」  オトがヤエに尋ねる。 「おれは何もきいちゃいないがね。」  ヤエが少し考えて答える。辺りを見回すと、村人達は口々になんだろか、なんだろかと言い合っているものの、不安や心配を隠しきれていないようであった。 「静かにっ。長老様がお話をされるぞ。」  長老の世話役でもあるヤマトが大声を張り上げ、人々はしんと静まり返った。視線が目の前で腰を曲げ、杖をつく老人に集中した。 「今日は皆に知らせなくてはいけん事があるのだ。」  彼らの間に、ぴんと張りつめた空気が漂い出した。今、村に響くのは、蝉の声のみであった。 「田植の頃の占いで、…今年は凶作だと出たんじゃ。その証拠に、ほれ、コメの丈が中々伸びんだろう。」 やはり占い通り、収穫は見込めないようであった。再びざわざわと人々が騒ぎ出した。 「だが、これはわしの若い頃にもあったのじゃ。多くのもんが飢え、死んでいったものじゃ…。」  長老の声が少し小さくなり、目頭をぐっと押さえた。 「だが、同じ事を繰り返すわけにはいかん。お前たち皆、わしの大事な孫のようなもんだからのう。」  先ほどとは打って変わって声に張りが戻った。それを聞き、思わず泣き出すもの、嗚咽を漏らす者もいた。ヤマトもその一人であった。 「そこでわしは思うた。この凶作を引き起こしたやつがおるんじゃないかと。皆、知っておるはずじゃ。」  まさか、とヤエは思った。自分達皆が知っている「やつ」、それが何なのかに気づいてしまったのだ。どうか勘が外れていてくれ、と願わずにはいられなかった。 「そう、隣村の奴らじゃ。あやつらは、わしらの村を目の敵にしておる。これはわしのじさまからの、古い因縁だ。」  この時ほど、神を恨んだ時はないだろう。ヤエはその動揺を、身体の震えを悟られないように装うので必死だった。日は既に高く昇っているというのに、寒い。 「考えてみい。この村の者を飢えさせて、得するもんが他におるかね。」  長老はさらに声を上げた。 「これは今、わしら皆が一つになり、奴らを叩きのめす時ではないか。わしは一人たりとも、ひもじい思いで死なせとうない。」 「今すぐとは言わん。皆には、心にしっかりと留めておいてもらいたいのじゃ。わしらの、敵が誰なのかをな。」  そう言い残し、長老はよたよたと自身の家のある方向へ歩き出した。ヤマト達が慌てて後を追いかける。人々はやはり、隣村の人間がいかにどうしようもない奴らであるかという話を始めた。隣村への恨みは、この村の人間に生まれた者は必ず植え付けられる。そしてそれは下の者へと伝わり、さらに下の者へ。これは村という組織についてまわるものであった。 「やっぱおっかねえんだな、隣村は。」  オトはうんうんと一人納得していた。今のヤエにとって、村人は誰も彼もが自分に悪意を向けているように見えて仕方がなかった。隣の友人ですらも。そしてタツの事を死んでも口外してはいけないと心に誓うのであった。彼を、そして自分を守るために。
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