クリスマスソングをあなたに

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 小山羊は、とうに50代をすぎた老婆だ。でも、見た目はまだ、20代というように、お化粧をしている。  そう、女性の年齢なんて、身だしなみで決まるのよと、その瞳は言っていた。若い娘が履くような、光沢のあるラメ入りタイツで皮膚の皺を隠し、髪も茶色く染め、色気が、意地悪そうな紫の唇から、ムンムンと漂っている。おまけに、その香水。  確かに、女子大生を相手にするんだから、見劣りしてはいけないという気持ちは、わかる。でも、羊のおしゃれには、品がない。  あの、かっこいい、優しい講師の先生と、寝たいんじゃないの、と、教え子からは、陰で噂されているくらいだ。  羊は、学生の頃から、要領が良い方だった。ガリ勉なんて、ダサイことをしなくても、勉強はできて、彼氏に、困ることもなかった。でも、頭がいいために、他の男が馬鹿に見えたから、結婚というゴールインは、ありえず、今まで、独身で過ぎてしまったのだった。  そんな羊には、本当の意味での「真面目さ」であったり、「清らかさ」であったり、純粋な「素朴さ」であったり、というものが、わからなかった。それゆえ、出来の悪い、粗末な地味な女子大生を見ると、腹が立つのだ。  「あなたは、本当に、これを書いて良いと思ったのですか?」  どういう意味ですか、と問いたそうに、そう言われた女子大生は、羊を見つめ返す。何か言いたいけれど、何も言えない困惑した表情を浮かべて。  「もっと、楽しいおはなしや絵本を、お描きなさいよ。言われなくても、わかるでしょう。つまらないの。あなたのものは。」  女子大生は、それに納得して、自分の作品を取り下げるわけでは、決してない。小山羊教授のお眼鏡にかなわなければ、単位がもらえないからだ。  「あの、どこを直せばいいか、アドバイスなど、いただきたくお願いします‥‥。」  「それは、あなたが考えることよ。私の作品じゃないもの。」  そんな偉そうなことを言っても、小山羊の仕事は、楽しいおはなしを書くことでも、その本を広める出版社でも、それを客に紹介する本屋でもなかった。ましてや、新人作家を支援し育成する、良い指導者でも。  ひとつでも多くの文学作品の知識を蓄え、ひとつでも多くの伝統的価値のある文学作品を、自分の研究室の本棚に入れて、管理すること。時にその中身について、批評し、自分の名前を雑誌に出すこと。おおかた、そんな仕事が主なのだ。  「嫌ね。今の学生は、本当に、程度が低いわ。」  それが、無知な小山羊の口癖だった。  そんな小山羊に、変化があったのは、クリスマスが過ぎたあたりのこと。みんな、周りは、その理由を知らない。  彼氏でもできて、欲求不満がなくなったんじゃないの、と、酷い陰口は、依然として、健在だけれど。単位をもらえれば、小山羊に、用がある学生は、誰もいなかったし、以前と比べて、少し優しくなったと、思ったとしても、特に気にする人はいなかった。  でも、あのクリスマスの夜のことは、小山羊にとって、ショックで、今も覚えている……。こんなことがあったのだ。  クリスマスの夜、ふわふわの真っ白なネグリジェを着て、独りで赤ワインと、鹿のステーキを食べていたら。雪玉みたいに、小さな人が、鍵をかけたはずの窓を、自分で勝手に開けて、猫みたいに入ってきたのだ。  その小さな人も、自分と同じ、白いネグリジェ姿だと思ったら、急に、見覚えのある顔になり、小さな雪玉から、人間の子どもくらいの大きさになり……。  「こんにちは!」と、その子は言った。  「贈り物、届けにきたよ! 忘れ物、取りにきたよ!」  「一体、何?」  「それは、あなた。おとなの私を忘れたから、私は一生、子どものままだし、それでは困るから。ねえ、」  女の子は、羊のネグリジェを、引っ張った。  「あなたは、いつまで、おとなでいるつもりなの? 面白いおはなしも書けないなんて、つまらないと思わないの。ねえ、おはなししてよ。」  「そんなの、思いつかないわよ。私の仕事は、とても大切で、偉い仕事なのよ。出来上がった世界中の作品を、あつめたり、未完成の作品を、評価し、価値を決めたり。」  「自分では、作らないの? そんなの、生産性がないよ。子どもの国では、みんな、おはなしを持ってるよ。あなたも、わたしなら、わかるはずよ。メリークリスマス!」  すると、街の明かりが、一斉に点滅したのかと思うくらい、ぐらぐらと、眩しい明かりに、目を閉じた。  羊は、自分が死んだのかと思った。あの、何か忘れたとかいう、小さなものに、魂を持っていかれたのだ。同時に、新しい何かを贈られたのだ……。  こんな、マンションで、ひとりきりで。「年寄り子ども」と、よくいいますものね。何かに、急に不安になってもおかしくないし、不思議な小さなものを、信じても、良い年齢に、なったのです。
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