①誤解

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①誤解

蛇口から白く細かな泡立つ水が勢いよく流れ落ちる。仄の手は何も無い流し場で止まっていた。 「...平気か」 立ち尽くす仄の隣に行くと俯きながら静かに深呼吸している。 「はい。もう、慣れました」 顔を上げ仄は笑った。 「...そうか」 信也は仄の頭を抱き寄せた。 まだ荒い呼吸。 「よくやった」 仄は少し照れながら頷いた。 「お熱いねぇ、お二人さん」 甲斐が暖簾の下からひょこっと顔を出し、 冷やかすと仄は慌てて離れた。 その反応を見て甲斐はよけいに楽しそうに 笑う。 「馬鹿言ってねぇで仕事しろ」 信也が言うと甲斐はそそくさとフロアに戻っていった。 「...また誤解された」 「ほっとけ、アイツは女のことしか頭にねえんだ」 呆れたように信也は言って頭を掻くと 炊き込みご飯を炊いていた鍋の蓋を開けた。 湯気と共に炊きたての米と醤油の香ばしさが具に染みた匂いが厨房に広がる。 「すみません、私ちょっと..」 気分が悪くなり仄は厨房を出た。 「...そんな嫌だったか」 まぁ好きでもない男と恋人扱いされたら そんなもんか いい加減口止めしてやるか と信也は頭を掻いた。      ◇   ◇   ◇ 休憩中、部屋へ入ると(あきら)茉莉(まつり)がテーブルにお弁当を広げていた。 「仄、ちょっと痩せたんじゃない?」 「は?」 入るなり晶が じろじろ と見て頷いた。 「やっぱ痩せた。ちゃんと食べてんの?」 「少し..夏バテ気味で」 「まだ暑いしね」 茉莉がうんざりしながら言うと仄は頷く。 「本当に?変なダイエットしてるんじゃないでしょうね」 じろり と見られたので仄は慌てて首を振った。 「晶さん怖い怖い。 ごめんね、この間 行った飲み会でやたら男連れが多かったらしくて」 「男なんて...いらんわ! 私は一生独り者で生きていく!」 やけ食いする晶を茉莉が宥める。 「大丈夫ですって。晶さんは素敵ですって」 「...彼氏出来た奴に言われたくないわ」 晶がにらむと茉莉は苦笑いした。 そう言われてみると茉莉の薬指には きらりと光る指輪がある。 「茉莉さんの彼ってどんな人?」 水のペットボトルを隣にあるロッカールームから取ってくると二人の向かい側に腰を下ろした。 「大学の先輩。 サークルの花火大会で告白されて...」 頬を染めながら話す茉莉に思わず微笑む。 「なんか...幸せそう」 「大事にしてもらってるからね」 「あー、そうですか。みんなして何が花火大会よ。花火を見て酒飲む場でしょーが」 また晶がふてくされたので仄はペットボトルを持って そそくさと席を立った。 「あれ、仄ご飯は?」 「あ、後で食べます」 慌ててそう言うと仄は駆け出した。 「本当はダイエットしてんじゃないのぉ.」 晶は目を細め、じーっと閉められた襖を見つめた。その様子に隣でお弁当箱から卵焼きを挟み上げ茉莉は言う。 「晶さん...あんまりしつこいと男だけじゃなく女友達も逃がします」 茉莉の一言に晶は我に返り、手元にあったお茶を啜り反省した。 ガラリと襖が勢いよく開いて信也が顔を出した。 「...あいつは?」 「八城なら今出ていったけど?」 信也は少し考えながら襖を閉めようと手を掛けた。それに晶が慌てて止める。 「ちょっと、信也からもダイエットなんて 必要ないって言ってやってよ」 「....は?」 「あれは絶対変なダイエットしてるわよ。 最近顔色悪いし、痩せちゃってるし」 「なんで俺」 さすがに口出しする立場にないだろ と 信也は思ったが、晶はお弁当箱の上に 置かれた箸を手に取り、突き刺す勢いで信也を差した。 「彼女の体心配しないで何が彼氏だ!」 「付き合ってもねぇもんを何が彼氏だ」 怒鳴った晶に 飄々と返すと信也は襖を閉めた。
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