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僕の嘘。 「あるよね。お父さんだって、嘘ついたこと。人は、弱いんだ」 「あ。まあ」 僕は基本的に嘘は言わない。回りまわって自分が困ることになるのは知っているから。一つの嘘が新しい嘘の原因になることも知ってる。 でも、嘘を言ったことがないと言えば、それこそ嘘になる。 ええと。あ、そうだ。あった、あった。 あれは、ひどかった。 「お父さんは就職が遅かった。30の時。それまで旅行ばっかりしてたからね」 「うん。知ってる」 「それでね、今の仕事に就く前に、これから操業するっていうモノレールの運転手の採用試験を受けたんだよ」 「モノレールの運転手?!」 「うん」 「無理!」 「だよね」 「お父さん、それ、無理でしょ。お父さんがモノレールの運転手?馬鹿にしないでよ、モノレールの運転手を」 「そんな風に言わなくても」 「だって」 「ま、落ちたんだけどね」 「よかった」 「ひどすぎない?凛」 「だって」 30歳のその夏、僕に、特にやってみたいと思う仕事はなかった。 だから、操業開始を翌年に控えたモノレールの運転手の募集記事に目を引かれたのは、給料、社会保障、休暇等、条件の良さ以外には特に何もなかったのだ。 「一次試験は受かったんだよ。高校受験程度の国数英理社」 「へえ」 「アルバイトで塾の教師とかもしてたからね。まだ頭に残ってた」 「教えてもらって助かってます。私も」 「ははは。でもさ、問題は、二次試験の面接」 「うん」 「なんでこの会社を志望したんですか?って言われてなんて答える?」 「ああ。そりゃ、その、おっきい会社だから、安定?」 「それ、NGワード」 「だよね」 「でも、お父さんの志望理由はそれしかなかった。安定」 「ははは。で、どうしたの?」 「うん。あのね。面接官の前で」 「うん」 「小さいころから鉄道が好きで、鉄道関係の仕事に就くのが夢でした」 「わ。大嘘つき!」 「だよな」 「それは、ひどいわ。真実の欠片もない。電車に興味なんかこれっぽっちも持ってないでしょ、お父さん」 「まったくない、興味。だからさ。自分で喋ってて、もう、歯が浮いてるのが分かるんだよ」 「ははは」 その日、印象芳しくないモノレールの会社の面接を終えて、炎天下。 普段着なれていないスーツを着た僕は、今まで感じたことがないほどの自己嫌悪にかられていたのだ。 こんなことをやっていいはずがない。 自分を安く売って、なおかつ拒絶されたような、惨めさ。 第一、相手に対して極めて不誠実だ。 どうにもいたたまれず、面接会場の近くの繁華街の、昼からやってる飲み屋の暖簾をくぐり、泥酔するまで飲んだのを覚えている。 「凛が言った通りだ。人は、弱いから、嘘をつく」 「うん」 「でもさ。お父さん、あれ以来、それ以上の嘘をついたことないよ」 「へえ。そっか。いい話を聞いた。ん?いい話なのかな?」 「どうかな」 「で。その後で、今の仕事に就いたの?」 「うん。あ。そうだ。今の仕事に就いたときの、ちゃんとしたいい話、聞く?」 「聞きたい」
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