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恋と手紙と君と僕
「…………」
「は、はい?」
仕事でくたくたになって帰った平日の夜。待っていた妻に、僕は無言で手紙を渡された。
メールもLANEもある今のご時勢だが、妻は昔ながらの手紙でのやり取りが好きという少し古風な趣味の人だった。学生時代からそうだ。高校の時、彼女が僕の下駄箱に入れたラブレターが付き合い始めのきっかけである。以来、彼女はどれだけ手間がかかっても手紙でのやり取りを好んでいる。勿論、メールなどをすることがないわけではないのだけれど。
その彼女とは、最近手紙で連絡を取り合うようなこともなくなっていた。まあ、結婚して一緒に住んでいるのだから、そういう必要もなくなってしまったからというのもあるのだが。
久しぶりに渡されたのは、彼女が昔からお気に入りで使っている、ポムポムプリンの可愛らしい黄色の便箋である。
ただし、そこに書かれていた文章は実に簡潔なもの。
『私からあなたへ。
お帰りなさい』
これだけ。
私からあなたへ、は彼女が手紙の冒頭で添える定型句、いわば癖のようなものなのでそれはいい。問題は、何でただの“お帰りなさい”を手紙でわざわざ渡してきたのかということである。
「た、ただいま……?」
「…………」
妻はこくん、と頷くとそのまま奥の寝室に引っ込んでいってしまった。去り際、風呂場の方をつんつんと指差すのも忘れない。風呂は沸いてるから入って、の意味なのだとそれはすぐ分かったが、なんで口に出さないのだろう。
暫く茫然と立ち尽くしていた僕だが、暫くして最近読んだ雑誌の特集を思いだし、青ざめることになるのである。これはもしや、妻の“話したくない”アピールなのではないかと。つまり。
――や、やばい。僕、なんか怒らせるようなことしたんじゃね!?
じんわり焦り始める僕。
結婚して、もうそろそろ十年。愛が冷め始める時期としては充分だ――僕の方は今でも彼女にゾッコン(古い表現なのは承知だがそれ以外の言葉が出てこない!)だというのに。童顔で可愛らしい妻が、三十三歳ですっかりくたびれたサラリーマンになった僕に愛想をつかして、若い男に走ってもなんらおかしくないではないか。そんなの嫌すぎる!
――ど、どどどどどうしよ……。
そしてもう一つ恐ろしいことは、マジギレした妻がどれほど恐ろしいか、僕が一番よくわかっているということだ。
同棲していた頃、彼女を怒らせた結果――僕の洗濯物だけ見事に洗って貰えなくなったり、こっそり激辛料理を食わされた時の恐怖は、今でもしっかり全身に染み付いている。なんとしても、そんな恐ろしい事態だけは避けなければならない!
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