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都市伝説やら怖い噂やらおまじないやら、私はそういうものにまったく興味はないのだが。それでも物凄く有名なものに関しては、一部耳に入ってくるのである。
それが、西校舎の裏の桜の木だ。
放課後にその場所で好きな人に告白すると、想いが成就するらしい――といういかにもありふれた内容である。実際その木の下で告白して彼氏をゲットした女子もいたとかいないとか。ゆえに、“恋人の木”。そんなジンクスやらおまじないやらに頼るだけで彼氏が出来るなら誰も苦労しないんだけど、なんてことを考えながら私は木の下に近付いていく。
夕焼けに照らされて、燃えるように赤く染まった幹。長い長い影が伸びており、ロマンスよりもホラーの方が似合いそうな景色である。
――誰もいないなあ。
ぐるり、と木の回りを一周したものの、人影は見えない。いつもこの木の下で待ってます、みたいな口ぶりだったから、今日も此処にいるとばかり思っていたのに。
――うーん、実は悪戯だったとか?
会えないのでは、どうしようもない。自分は“ひなこ”という相手の下の名前しか知らない赤の他人である。連絡のしようもないのだ。
もう仕方ないからほっとこうかな。私がそう思って帰ろうとした、その瞬間だった。
「待ってたの」
――!
たった今背を向けた木の方から、声が。
「ずっとずっと、待ってたのよ。ねえ……」
「あ、貴女がひなこさん!?この手紙……!」
間違って私のところに入ってたんだけど。そう続けようとしていた私は、凍りついたように動けなくなっていた。
振り向いた先。吐息が触れそうなほど近い距離に――一人の少女が立っていたからだ。長いぼさぼさの髪、私たちと同じ制服の娘。
「ひっ!」
あまりにびっくりしすぎて、私は尻餅をついてしまった。こんなに接近されるまで気付かないなんて、そんな馬鹿なことがあるのだろうか。
彼女は座り込んだ私に、ゆっくりと一歩、近付いてくる。ざり、と砂が音をたてた。長い前髪のせいで、彼女の顔は殆ど見えない。僅かに覗くのは、紫色に染まったガサガサの唇のみである。
この唇が、ぐにゃり、と不自然に歪んだ。そして。
「待ってたのに、なんであの人じゃなく、貴女が来るの?」
「え?」
「そうなのね?貴女が、あの人を奪ったのね?」
「ち、違っ……!」
違う。何か勘違いしている。弁明しなければ、と思うのにうまく言葉が出てこない。ただただ得体の知れない恐怖が全身を縛り上げ、私の身動きを完全に封じてしまっていたのだ。
明らかに、彼女はどこかがおかしい。
ぶつぶつと呟きながら、ゆっくりと私の方に近付いてきている。私はけして関わってはいけない相手に関わってしまったのだと、ここにきて漸く悟った。あんな手紙など無視すれば良かったのか、それとも他になんらかの対処法があったのか定かでないが。
――や、やだ、なにこれ。
彼女は私の傍にしゃがみこみ、私の顔を覗きこんでくる。
「その顔が、いいっていうの?私の顔では駄目ということ?」
生臭い息がかかる。がさがさの女の手が、私の顎に伸びてくる。
逃げなければ。
逃げなければ。
このままでは何か、何かとてつもなく恐ろしいことが――。
「じゃあ、剥がして、交換しないと」
鬱々とした暗い声が響いた、次の瞬間。
私は自分の顔を襲った激痛に、悲鳴を上げていたのである。
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