3.同情こそが狂気

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 あなたはやはり間違っている。  私にレモンティーを与えるべきではなかった。墓石に供物を備えることでさえ、あくまで生前その存在が人や動物であったからだ。  物が壊れても、葬儀も墓石も仏壇も戒名も必要としない。不用品に対し、誰もそんな馬鹿げたものを与えようとは考えない。私は生きた屍どころか、いつ廃棄処分されてもおかしくない壊れかかった物なのだから、私のような存在に対し供養しようとする行為は、霊的な何かに洗脳されてしまった人による、特殊な儀式に他ならない。  だから、間違っている。廃棄されようがされる前であろうが、赤の他人が物に物を与えることはどう考えたって不自然なことなのだ。物の扱い方を決めるのは、物の所有者だけに許される行為だ。  だから、あなたには物に手をさしのべる権利もなければ義務もない。同情するのもよくない。というよりも、朽ちかけている物に同情することこそ狂っている。  ましてや私は単なる汚物ではない。巨大な粗大ゴミよりも処分に困る危険物なのだ。いつ破裂するかもわからない薄い皮で覆われているに過ぎない小さく脆い危険物。  けれども、私以外の人間はそのことを知らない。だから、あなたの目の前で私が破裂でもしたら、世間を騒がせることになり、あなたが罪に問われることになるかもしれない。さらには、私の所有者にとんでもない請求をなされることだってあり得るのだ。  普段は大切に思っていない物であっても、自分の所有物である限り、他人に破壊されたり奪われたりすることを人はよしとしない。少なくともあのヒトがそれを許すことはないだろう。処分するにし切れず、持て余していた物なのに、破壊された途端、私はあのヒトの中で急速に価値を持ち始めるのだろう。  私はあなたを罪びとにする気はない。だから私に手など振らないで欲しい。お願いだから、一切私に関わらないで欲しい。誰かを巻き込んで壊れるくらいならば、誰もいない場所で、自分の手によって自分自身を破壊したい。あのヒトの餌食になるのは私だけで十分なのだ。これ以上犠牲者を増やしてはいけない。  今の私は完全なるあのヒトの所有物。だから自分固有の感情もなければ痛みも感じない。私に喜びや悲しみや悔しさや痛みらしきものが押し寄せてくるのは、あのヒトがそれらを感じたときだけだ。そうでなければいけないのだ。  寝しなに頻繁にガムを噛んでいた小学生時代はわからなかった。けれども、今はそれらをきちんと言語化することができる。私は学習したのだ。彼女の配下で生きのびるために、その方法を習得したのだ。
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