5.ばいばい、家族ごっこ。ようこそ、生態観察クラブへ。

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「表向きの私」と「浮遊する私」たちは合格通知を手にして以来、寝しなにガムを噛む習慣もすっかりなくなっていたし、朝が来るようにもなっていた。朝は朝であり夜は夜だと、「普通の女子」のように時間の区別ができるようになっていた。時間には起伏があるのだと、はっきりと感じることができた。そして、私たちの中には、長いあいだ真に存在しないと思い込んでいた喜びという感情が、本当にあるのだと再認識した。私たちの境界線は次第にあいまいになり、ときには完全に一体化することもあった。  あのヒトの怒声が耳に入らなくなったことも影響していたのかもしれないが、それ以上に、自分で自分を立て直すことができたことに、大きな自信を持てたからなのかもしれなかった。  あのヒトはいまだに、「永水(ながみず)踏子」という人間を、自分が所有する道具だと思い込んでいるようだった。会う人会う人に大城高校に合格した「優秀な道具」の話を饒舌に語っているのが滑稽だった。家の中でも、道具は丁寧に扱われるようになった。「父」という肩書を持った男の視界にも、道具の存在が映るようになったらしく、入浴後、リビングを通りかかったときなど、「父」のほうから声をかけてくるようになった。3人揃って夕食を囲むことなど、久しくなくなっていたのに、合格祝いという名目で仕立てられた豪華な料理が並んだ食卓を囲んで以来、休日に限らず平日の夜でも、一緒に食事をする機会が圧倒的に増えた。気持ち悪いと思いながらも、賢くなった道具は、黙って「家族ごっこ」に付き合っていた。  彼らが今楽しんでいる「家族ごっこ」という遊びは、今まで「家族」を放棄してきたのと同じように、無自覚的に繰り広げられている。でも、遊びの主人公に抜擢された「永水踏子」は、その無自覚こそが最大の罪だということに気づいていた。  
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