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ようこそ、生態観察クラブへ。
最寄り駅の改札を抜けた瞬間、私のクラブ活動は本格的に開始していた。
ホームでは少し離れたところから彼の様子をうかがい、電車が来ると隣の車両に乗った。乗り換えのために、ターミナル駅で下車するときには、彼の姿を見失わないように人一倍注意を払った。次に乗る電車は、東京方面とは逆方向だったので、車内は比較的すいていた。
彼の右手には文庫本が広げられ、左手は吊革を握っていた。ページをめくるときに動く指先がきれいだった。レモンティーをくれたときに触れた手なのだと思うと、なぜか心臓がぶるっと震えた。
私たちが乗っているのは急行列車だったので、停車駅は少なく、高校の最寄り駅は3コ目だった。乗車時間はおおむね15分と短かったから、この時間は彼の生態を観察するのに貴重な時間になりそうだった。
次の停車駅で、私が立っていた近くの扉から彼と同じ紺色の学ランを着た男子がふたり乗ってきて、左右をきょろきょろと見渡している。
「あ、アオイ、あそこにいる」
サラサラ髪の小柄な男子が、レモンティーの彼がいる車両のほうを指さした。
「ジュンイチ、相変わらずだな」
サラサラ髪の男子よりもずいぶん背の高い骨太の男子の視線は、間違いなくレモンティーの彼に向いていた。
「アオイ、どんだけ本好きなんだよ」
サラサラ髪の男子の声は呆れたように響いたが、尊敬の念を含んでいるようにも感じられた。
「筋トレとランニングと読書が趣味って、教師が大好きな文武両道ってタイプだよな」
「筋トレとアニメとゲームが趣味ってお前とは大違いだわ」
ぷすっと笑ったサラサラ髪の男子は骨太男子の顔を指さすと、
「っるせー」
骨太男子がサラサラ髪の男子の脇腹を腕で小突いた。
「まあ、ジュンイチってめっちゃ頭いいから、今年も一緒のクラスってのはありがたいよな」
脇腹を押さえながら、骨太の男子がしみじみとした口調で言った。
「マジそれな」
電車が走り出すと、ふたりは車両の連結部分をまたいで、レモンティーの彼のそばに近寄って行った。
レモンティーの彼の名前が「アオイジュンイチ」であることを知ったのが、入学式の翌日だったのは意外だった。
そして、筋トレとランニングの他に読書の趣味があり、そのうえ「めっちゃ頭いい」という情報まで入手できたこともまた、意外だった。
が、生態観察クラブの一員としての「仕事」はまだ始まったばかりだ。
次に私が手に入れなければならない情報は、「アオイジュンイチ」の漢字表記だ。でも、これは案外手がかからない仕事だろうと私は思っていた。下駄箱は名前順だ。たかだか10クラス分の下駄箱なのだから、2年生の各クラスのいちばん上のア行の段をざっと横流しに見て行けば、そう時間をかけずとも見つかるだろう。
閉じた文庫本を右手に握るアオイくんが、先ほどのふたりと談笑している様子を、私は隣の車両から何食わぬ顔をして眺めていた。
本当はもっとそばに行って、どんな話をしているのか聞いてみたかったし、彼の手の中にある本のタイトルを知りたいとも思った。
私も読書は嫌いではなかった。けれども、習い事やオーディションに忙しく、特に受験勉強が本格化してからは、ほとんど本を読むことができなくなっていた。彼が本を読んでいる姿を見ていたら、久々に自分も読書をしてみたくなった。できれば、彼が読んでいる本と同じものを読んでみたい。そんな欲求に駆られた。と同時に、自ずと次の次にこなさなければいけない「仕事」が見つかった。
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