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彼は私のように内気な人間ではない。人見知りが激しい私は、自分からクラスメイトに声をかけることができないような人間だ。小さい頃からずっとそれは変わらない。話しかける勇気がない、気弱な人間なのだ。それでも、こんな自分に声をかけてくれる女子がいたから、学校での生活に不自由はしていない。でも、クラスでの時間が特におもしろいと感じることはなかった。
昼食も何人かの女子と机を合わせて食べるが、別にひとりで食べてもかまわなかった。でも、孤立するのは面倒なことなのだ。それは小学校からの経験則で知っていたから、クラスの中で無難に過ごすためには、良くも悪くも目立たないように行動することが鉄則だ。「踏子の髪型、何かちょっとやぼったい気がする。ちゃんと手入れしてる? 顔、かわいいんだからもったいないよ」「脚、細くてきれいなんだから、ウエストのところ折って、スカートの丈、短くすればいいのに」「背が高ければ、モデルになれそうだよね」などと、まわりの女子にもてはやされたが、私には全く興味のない話だった。容姿など、どうでもいい。私が欲しいのは自由な時間だ。彼のことだけに没頭できる、自由な心の時間なのだ。私の生きる糧は彼の生態観察をすること。それに尽きる。
今日も私は走る。40分かけて、ターミナル駅までの道のりを疾走する。彼のことを考えながら走ることは私の人生そのものなのだ。彼が今借りている公営競技に関する本は、明日の朝の電車の中で読み終わるかもしれない。次はどんな本を借りるのだろう。明日は生徒会活動があるのかないのか、確か今日は夕方から雨の予報だったから、今日は防水性の紺色のジャージを身に着けてランニングに出かけるのだろうが、私は塾があるから、その姿を確かめることはできない。でも、塾から帰ったら、私専用の箱の中で、彼の箱の中に灯る明かりを眺めながら、明日の課題に取り組み、本を読むことができる。彼もきっと、明日の課題に取り組み、本を読んでいるはず。そう思うと、やる気がわいてくる。彼の箱の照明が消えたら、私の箱の照明も落とそう。そして、一緒に眠るのだ。
私と彼は間違いなく、同じ時間を共有している。彼がどんなパジャマを着ているのかはわからない。でも、それを想像するのがとても楽しい。ゆるくうねった黒い髪を、ドライヤーで乾かしている姿が目に浮かぶ。眠りにつくために閉じたまぶたを思い描く。絶対に彼自身が見ることのできない姿を、私ならば見ることができるのだ。ただ、私にはその機会が巡ってこないだけの話であって、物理的には不可能ではない。
――ああ、あのときみたいに高いところに飛べたらいいのになあ。
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