【第2章】1.消えた名前

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【第2章】1.消えた名前

 彼が高校を中退するかもしれないという衝撃的な話を耳にして以降、私の毎日は憂うつだった。特に夏休み中は、学校までの道のりや学校の中での彼を見ることができない分、余計に憂うつな気分が高まり、まるで抜け殻だった。彼の行く末がどうなるのか不安で不安で、自宅での勉強も塾での夏期講習もまるで身が入らなかったし、食欲や読書欲も失せていた。彼のことが頭から離れず、ぼうっとしている時間が増えたのが周囲にも感じられたのか、塾の講師や一緒に勉強している仲間たちに心配されるくらいだった。私は夏バテだと言い訳をして、勉強に集中できていない自分を擁護した。  とにかく、私の頭の中は彼のことでいっぱいだった。時間が許す限り、いつでも自分の箱にこもって窓から外を見ていた。筋トレをしてランニングに出かける彼の行動は、依然として続いていた。これからしばらくのあいだ、彼の姿を見ることができなくなるかもしれないと思うと、1秒でも多く、彼の姿を目に入れておきたかった。  けれども、夏休みも半ばを過ぎると、生態観察に対する欲が薄らいでいた。というよりも、彼の姿を見ることが恐ろしくなっていたのだ。見れば見るほど、いつまでも見ていたいという欲が強くなる自分が怖かった。ある日突然、その姿を見ることができなくなったら、自分を制御できず、挙句、発狂するかもしれない。漠然とではあるが、本能的に心がそう感じていた。  とにかく、慣れなければならない。彼がまだあの箱の中にいるうちに、徐々に見る時間を減らしていかなければならない。私は自分で自分の行動をコントロールできなくなる前に、準備しておかなければならないのだ。  何事もその人にとってよくない方向へと急変することは、身に堪えるものだ。会社の突然の倒産、親の突然の離婚あるいは再婚、親友の突然の裏切り、愛する人や身近にいる動物の突然の死。人はそれによって大打撃を受け、ときには人生を狂わされる。そういう話は巷にあふれている。そんなことがわからないほど、私は幼くはない。けれども、今の私は、もっともっと賢くならないといけない。私は既に、そういう立場に立たされているのだ。  そう思い至った私は、昼間でもなるべく紺色のカーテンを閉めて過ごすようになっていた。
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