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「母」は私のことを何でも知っている気でいるが、実のところ私の何も知りはしない。今では逆に、私のほうが彼女のことをよく知っている。私はもうあのヒトに勝利している。あのヒトの考えることをほとんど完璧に近く、読むことができるのだから。
私は先回りすることができる。今の私はもう昔の私とは違う。あのヒトは私のことを道具として自由自在に操っているつもりでいるかもしれないが、操っているのは私のほうだ。家の中でも外でも構わず、暴言を吐かれ、顔を洗面ボウルに張られた水に押し付けられ、髪を引っ張られ、肉体的にも精神的にも傷つけられていた過去の私とは別物の私だ。
今、懸命に勉強している姿を見て、あのヒトが大満足しているのは明らかだ。オートレースの裏方になるべく難関大を突破するために、真剣に勉強に取り組むようになった私の成績は、ふたたびめきめきとあがりはじめていた。「母」はそんな私のことを、また周囲の人間に自慢するようになっていた。私は馬鹿馬鹿しいと見下して、内心大笑いしていた。と同時に、こんな人間にだけはなりたくないと、心底思っていた。「父」の態度も微妙に変わりつつあった。気心の知れた友人などには、娘自慢をしている様子がうかがえた。
いがみ合いながらも、このふたりが20年近くも夫婦関係を継続できた裏側には、結局のところ、そういう部分での共通項があったからなのだと、最近ははっきりと思うようになった。「母」が「夫」の浮気を大目に見ているのは、金銭的な事情も多分にはらんではいるものの、「夫」という存在をなくしたくないからなのだろう。そして、「夫」の恋愛が浮気にとどまっているのも、結局のところ、「妻」という肩書の女を失うことが世間的に不利になるからなのだろう。要するに、ふたりとも「夫婦」とか「家族」とかいう器を壊す勇気がないだけなのだ。たとえ、ヒビが入っていて、いつ壊れてもおかしくないほどのボロい器であっても、彼らにとっては守っていかないければならない大切な器なのだ。
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