3.鏡の中の青

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3.鏡の中の青

 時刻は10時30分を過ぎていた。走路の入場門の手前では1レースに出場する選手が続々と待機し始めている。もうすぐ彼の初舞台が始まるのだ。  けれども、すぐに本番のレースが始まるわけではない。これから彼らがしようとしている走りは、まだ前哨戦に過ぎない。オートレースは本番レースの前に、出場選手の紹介とともに「試走」というものが行われる。エンジンの調子や選手の様子を観客にお披露目したうえで、車券を買ってもらうというシステムになっていて、競馬でいうところの「パドック」のイメージに近い。但し、オートレースの場合、「試走」でのタイムが公表され、なおかつ、客にとってはそれが重要な判断要素になってくる。客はそのタイムを参考にして予想を立て、車券を購入するからだ。  まだ前哨戦だというのに、私の緊張は大城高校を受験したときよりもはるかに高まっているのが自分でもわかった。入場門のところには既に、8色の勝負服がそろっていた。ブオンブオンブオンという、聞き慣れたエンジンの始動音が、いつもよりもはるかに耳に近い。私の心臓の音もそれに連動するように、体の芯を伝わって耳に大きく響いてくる。  1から8までの黒い数字を背負った8台のバイクが、ついに走路上に姿を見せた。蒼井くんは青い勝負服をまとっており、背中には4の数字があった。私はバッグに忍ばせていた、生成り色の帽子を目深にかぶると、ゴールラインの目の前のフェンスにへばりついた。おじいちゃんと初観戦したときと同じ場所に立って、同じ態勢をして、一心に走路を見つめていた。  青い勝負服が目の前をゆっくり通り過ぎた。ゆっくりと言っても、公道を走る普通の原付バイクと変わらないくらいの速度だ。でも、本番レースの速さを知っている人にとっては、その速度はやはりゆっくり感じられるのだった。  青い旗が振られ、試走が終わった。蒼井くんのタイムは他の選手に比べると決して速いほうではなかったが、オートレースは基本的にはハンデ戦だ。あまり強くない選手や新人選手は(ゼロ)ラインからのスタートになる。試走タイムがいちばん早かった1番の数字を背負った選手は、出走表に乗っている情報によると52歳のベテラン選手だったが、ランクはB級だ。  オートレースのランクはS級がいちばん高く、次にA、Bと続く。つまり、1番の選手はベテランではあるが、あまり強い選手とは言えなかった。それでも彼は、60のハンデラインからスタートする。蒼井くんとの実力差が、それを物語っているのは、まだまだオートレース初心者である私にもよくわかった。
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