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客たちの歓声が一気に高鳴るとまもなく、フェンスの向こう側には蒼井くんを追い抜いていったバイクが、続々と通り抜けて行った。まだ、競走を終えていないのは蒼井くんだけだった。およそ半周遅れて最終コーナーをまわり切った蒼井くんが、今、私の目の前に見える白いゴールラインに向かって懸命に走っている。
――頑張って、もう少し、あともう少しだから! そのまま転ばないように走り切って!!
私は青い勝負服にありったけの気持ちを込めて、心の中で声にしていた。
最初の仕事を無事成し遂げた彼の姿を見て、私の心は震えていた。私は心からエールを送りたい、そう思った。
「蒼井くーん、怪我しないで強くなってね!」
思いっきり大きな口を開けて叫んでいたのは、ほとんど反射的だった。エンジン音の余韻にかき消され、彼の耳に届くことはないとわかっていたから、そうできたのかもしれないけれど、もしも彼の耳に届いてしまう状況下にあったとしても、私の本能が、自分に課していた「約束」を破っていたかもしれない……。
脱力した私は、速度をゆるめたバイクが退場していく様子を見送っていた。そのときだった。
「強くなるといいね」
爆音が消え去ったスタンドに立ち尽くす私の耳に、溌剌とした声が届いた。声のするほうを見ると、30代後半ぐらいの男性の横に、小学校5、6年生ぐらいの男の子が、微笑を浮かべながらレモン色のかき氷を片手に立っていた。つられるように微笑み返した私は、自分の喉がカラカラに渇ききっていることに気づいた。
もしかすると未来のオートレーサーであるかもしれない、その男の子に私はたずねた。
「かき氷、どこで売っているの?」と。
「あっちの観客席の裏側にある売店だよ」
私は礼を言うと、男の子の指先が示してくれた方へと歩き出し、売店の前に立った。
店先にある鮮やかなシロップをじっくりと眺めてから、
「ブルーハワイをひとつ、お願いします」
私は店員の女性に頼んだ。
観客席の裏側にある、小さな遊具広場に身を置きながらかき氷を完食した私は、バッグの中から取り出した手鏡に向かってぺろっと舌を出した。鏡の中の私の舌は、蒼井くんがまとっていた勝負服と同じ色に染まっていた。
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