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プロローグ〜晴翔(はると)〜
わたしと大雅、晴翔は三歳のときにこの町に越してきた。家が隣同士、ということもあってすぐ仲良くなり、いつも三人で遊んでいた。
幼稚園、小学校も一緒。時には喧嘩をしたり、おやつを取り合ったりゲームの順番で喧嘩することもあったけれども、わたしたちは基本仲良しで、ずっと一緒だと思ってた。
なのに、それは叶わない夢になってしまった。中学の入学式前日に、晴翔が引っ越した、らしい。
らしい、というのは、誰もこの引っ越しを知らなかったから。愛想が良くてご近所の人とも円滑なコミュニケーションを取っていた晴翔のママが、何も言わずに突然引っ越すなんて、ありえないのに。
おじさんの転勤らしいわよ。突然決まったんですって、と母は残念そうに言った。
思わずサンダルをつっかけて隣の晴翔の家に行くと、同じようにスニーカーの踵を踏み潰した、スエット姿の大雅が立っていた。
わたしたちは何も言わずに、ただ並んで晴翔の家を見た。晴翔の部屋、水色のカーテンはなくなっていた。住む人がいなくなった家は、なんだかがらんとした印象で、家全体が寂しさに震えているような気がした。
おばさんが丹精込めて育てていたモッコウバラ、これから誰が水をやるんだろう。花がらを摘んだり枝を剪定したりは、誰がやるんだろう。
庭に周ると、晴翔たちがもういないことがより一層感じられた。
締め切られた雨戸。いつもならここは開いていて、わたしと大雅が勝手に入り込むと晴翔は「玄関から入れよ」と文句を言いつつも「かーちゃんには内緒」と、おやつ入れからお煎餅を出してくれた。
夏のあの日。ホースの先を窄めて庭を水浸しにして、虹を作って遊んだ。ラムネ味のアイスにスイカの種の飛ばしあい。ここで花火もさせてもらった。夏休みのお泊まりでは晴翔の寝相が悪すぎて、大雅と二人で蹴りを入れたこともあった。
秋には庭の紅葉を集めて蹴散らし、拾ってきたどんぐりをこっそり埋めたり、まだ若い柿をかじってまずさに吐き出して怒られたり。
冬はほんの少し積もった、お世辞にも綺麗とはいえない泥混じりの雪で一生懸命雪だるまを作った。
おばさんが作ってくれたお汁粉を、ふうふう息吹きかけてもなかなか冷めなくて、我慢できずに食べて口の中を火傷した……そんな、三人でのたくさんの楽しい思い出が蘇る。
小学校の卒業式では、少しだけいつもと違うきちんとした格好で、お互いに「馬子にも衣装」なんてからかいあった。友達や先生との別れ。半べそかきつつも、三人とも同じ中学だから「また一緒に通おうね」って約束してたのに……。
「昨日の夜だってさ」
「夜?」
大雅がボソッと言った。
「夜逃げ、ってやつ」
「おじさんの転勤じゃないの?」
大雅が教えてくれたことは、母が言った内容と違っていた。
「表向きは転勤。ほんとは夜逃げ」
「なんで……」
「おじさん、借金凄かったらしい。お母さんもあんま詳しく教えてくれなかったけど、それで夜逃げだって」
「ママが言ってたことと違う」
「まぁ、あれだろ。気ぃ使ったんだろ、お前に」
大雅はぽん、とわたしの肩を叩いた。
「制服着てこいよ、入学式遅れるぞ」
「うん……」
晴翔がいない入学式。晴翔がいない中学校生活。わたしと大雅だけ。仲良し三人組が突然、二人だけになっちゃった……。
門に掛かっていた「椎野」の表札は、取ろうとしてもなかなか取れなかったんだろう。
中途半端に、ぶら下がっていた。
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