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3
目覚めたとき感じたのは、見知らぬ部屋の匂いだった。
俺の部屋でも、会社でもない。かといって病院でもない気がする。
病院なら香るのはせいぜい消毒液とか、薬っぽい臭いだろうが、今部屋を満たしているのは、馥郁たる――最近検索して覚えた言葉だ――お香の香りだった。
俺は薄い畳の上に寝かされているようだ。
えっ、なんで?
最近はこういう病院が――あるわけない、よな。
俺は上半身を起こす。階段から落ちたのだ。なのにどこも痛まなかった。
なんだか薄い布が下がった衝立が置いてある。そっとそれを指でのけて辺りを見回す。板張りの床と、広い廊下というか縁側? 手入れのされた庭、みたいな造りが目に入った。
ひとことで言うなら、映画のセットみたいだ。ばあちゃんちより、子供の頃遠足で行った地元の城よりもっともっと古い――平安時代、みたいな。
わけもわからず呆然としていると、廊下が女性の声で騒がしくなった。
「いけません。そんな、得体のしれない者とお話になるなど」
「得体が知れないからこそ話すのだろう」
人生でさげすまされることに慣れた身だ。「得体のしれない者」が自分のことだとすぐわかるのが情けない。足音はどんどん近づいてくる。
「いけません……!」
ほとんど悲鳴のような声と同時に、ひらひらした布の衝立――几帳、というのだとあとで知った――がどかされる。
現れたのは、十二単を着た女性だった。
ど、どゆこと?
目を見張る俺の表情を、どう受け止めたのか、女性は「ああ」と呟いた。
「このような格好ですまない。夫の喪中なのでな」
もちゅう。
言われてみれば、女性のまとう十二単は、俺がアニメや映画から連想する、きらびやかな色が何枚も重なったものではなかった。黒や灰色や薄い紫を重ねている。
だけど地味なのは色だけで、生地自体に光沢があり、高級なものなのだろうと思わせた。
「そんなことより」
女性はずい、と身を乗り出す。肩越し、おつきの人らしい少し年配の女性が額を押さえているのが見えた。
「これを書いたのはそなたか」
「これ……?」
女性の手には、なにやら見覚えのある紙束。
「あ、それ、俺の……!」
間違いない。階段から転がり落ちるときとっさに胸に抱き込んだ、俺の原稿だ。
「やはりそうか」
女性の顔が、暗い色の衣装に不似合いに、ぱっと輝いた。
「ここまで、人の世の醜い欲望を包み隠さず書けるとは、なんと素晴らしい!!!!!!!!!!」
――は?
「あの……?」
「本当に素晴らしい。それにしても、書には少し癖があるな。誰に習った?」
書っていうか、フォントだし。普通にMS明朝だし――いいやそんなことより。
俺はほとんど無意識で訊ねていた。
「素晴らしいって、ほんとに……?」
女性は頷いた。しっかりと俺の目を見つめて。
「ああ、本当だ。並の者にはここまで書けまい」
ぐっと、胸が詰まる。
気づいたら、俺の頬をなにかが伝わり落ちていた。
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