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 しばらくぐしぐしと泣いて、その感情も収まる頃には、おぼろげながら自分の置かれた状況がわかってきていた。  なんだかわからないが、俺は自分の原稿を抱いてタイムスリップしてしまったんだろう。  おそらく、平安時代に。  今まで俺のことなど眼中になかった神様的なものが、気まぐれを起こしたに違いない。階段から落ちる瞬間強く願った「わかってくれる誰かに読んでもらいたかったなあ」を、叶えてくれたのだ。  まあちょっと、だいぶ、時代は違ったけど…… 「普通は知性が邪魔をして、ここまで書けぬ」  ん? と面を上げると、女性はさらに言った。 「数か所、よくわからぬところもあるな。すまほ、目隠しぷれい、などだが」  ごふっと俺の口から変な音が出る。 「まあそんなものはいくらでも直せる。――それで相談だ」  女性は悪い笑みを浮かべて、ずい、と身を乗り出した。 「そなた、私と一緒に宮中に出仕せぬか」  それから彼女の語った言葉をまとめると、こうだ。  彼女は最近夫に先立たれた。  娘も産んだことだし、もう人の世の勤めは果たしたので出家しようかと考えていた。  準備をする間、手すさびに書いた物語を今の中宮様(なんか偉い女性)がお気に召し、お側に仕えるよう誘われてしまった。  しかし一度は出家を決めた身だ。  物語の執筆も、あくまで手すさび。いまさらやる気も起きず、ネタもなく、困っていたのだという。 「そなたが物語を書く。わかりにくいところを私が手直しして中宮様にお見せする」  つまりゴーストライターというか、共著とか、そんな感じのことだろう。  一瞬心は揺れたが、はたと気づいた。 「いやいやいやいやいや、だって俺、男ですし!」  宮中で女性の偉い人のそばにって、要するに後宮みたいなとこだろう。そこに男って、帝っていうの? そういう人しか入れないんじゃないのか。  女性は「そんなこと」と笑い飛ばした。 「部屋には几帳を立てればよいし、誰かと話をするのも御簾越しだ。執筆に専念したいからとか、物忌だとか言って、客は極力断る。身の回りの世話には気心の知れた者を連れてまいるゆえ、どうとでもなろう」 「な、なるかなー」  俺が何者なのか、どこから来たのか、そういうことを詮索する前にまず作品に触れるくらいだから、この人もちょっと変わり者ではあるのだろう。  そういう人に命運を任せてしまっていいのか?  万が一バレたらひどい目に遭うんじゃないか?  島流しで済めばいいが、下手したら死罪もあり得る時代なんじゃないのか――    ぐずぐず思い悩む俺に、女性は言った。 「三食昼寝付き物語書き放題だぞ」 「やります」
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