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私はこの神社を護る縁結びの神である。
しかし、恋愛経験には乏しい。
元カレは戦に負けて偶然、この神社に逃げ込んできた落ち武者だった。私は人間の麗しい女の姿になって懸命な看病をした。生きながらえた彼と恋仲になったが、四十いくらで天命を全うした。御霊は空へ上り、私はしばらく泣き続け、町中の男女が喧嘩した。
ともかく、以降恋愛はしていない。
しかも最近、疫病が流行って神社を訪れる者が減った。境内にどんと構える御神木が言うには、もう少しで来る正月の催しは中止となるらしい。
神社で大人しく待つのは私の性に合わない。久しぶりに人間の姿になってみる。雨上がりの水たまりには黒髪の艶やかで赤い紅に美しい着物の若い女が映っている。
「どうかしら」
すまし顔で御神木に問う。
「今どき着物など古い」
嗄れた低い声で、そっけなく返される。
「参拝に来る者はこういう格好をしてたわ」
神木は首を横に振るみたいに木の枝を振るわせた。私は頬を膨らませて、じゃあ何がいいのか聞く。
「白いブラウスに紺のベスト。紺の腰巻きは膝丈。パンストなるものを履いておる」
ちんぷんかんぷんな単語が並べられる。首を傾げ続ける私に、神木は根気よく説明してくれた。下駄じゃなくて、足の指がはみ出さない靴を履いたら完成だ。
「ありがとう。これで人間に紛れられるわ」
私は一周まわって服を見せつける。髪紐に結われた黒髪が、ふわりと揺れた。
「この服、どこかで見たことがあるわ」
「近所のビルディングにある会社の制服だ」
「御神木さんたら、ハイカラな上に物知りね」
私は早速、神木の道案内を口ずさみながら会社の前に着いた。しかし社員ではないから、いくら制服を着ていても建物に入ることはできないと、今気づいた。仕方なく外を歩いていると、公園のベンチにひとり、通り雨に降られて濡れた犬みたいに情けない男が座っている。顔が若く、おおかた仕事で失敗したのだろうと思い近づく。慰めればイチコロだ。
「もし、そこのお方」
しずしずと歩み寄ると、若い男は顔を上げて驚愕の表情を見せた。私まで驚いてしまう。
「ゆりこ、ゆりこなのか」
私に『ゆりこ』等という人間の名前はついていない。この男とも会うのは初めてのはず。
男は掛けよってきて、私を頭の天辺からつま先まで、なんども視線を往復させている。
「人違いだ。そ、それ以上近づいたら祟るぞ」
「今日、お前の墓にお供えに行ってきた」
男に抱きしめられるが、神として、彼を突き放す気にはなれなかった。
「丁度一年たつな。会いに来てくれるなんて」
今日はよく雨の降る日だ。私の肩に、大量の雨が降って濡れた。
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