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1、逃亡
「蓮ちゃん、しーっだからね。今からお外に出るまで話したらだめよ。」
香は3歳になる息子をぎゅっと抱きしめ耳元でささやいた。息子の蓮はコクンと小さく頷き香の首に手を回した。香は目を閉じ、心の中で大丈夫、大丈夫と言いながらそっと息子を抱き上げた。
ここから玄関の扉までたった2メートル。しかし、この2メートルが香には1キロほど離れている孤島にいるかのように感じた。
(音の鳴るものは持っていない。大丈夫、きっとできる。)
香は、一歩二歩と進んでいく。スースーと後ろから寝息が聞こえたが、だんだんと自分の心拍数が増え、その音がかき消されていく。
(大丈夫。大丈夫。)
こんなにもこの家は広かったのかと思うほど遠くに感じた。あらゆる障害物をさけ、ようやく玄関の前に辿り着いた。
(やった。いける。)
香が玄関のノブに手を添えた、その時だった。
「うーん。頭いてぇなぁ。」
香は後ろから発せられたその声にビクンっと体を震わせた。息子の蓮がぎゅっと香の肩を握る。そして、ぞくっとする悪寒とともに、靴も履かず玄関を飛び出た。それは、瞬時に取った行動というよりも、動物が本能的に動いたようなそんな動きだった。何も考えずただ、危険を感じ身を守るために。
そして、香は後ろを振り向かずそのままアパートの階段を走り抜け、待ち合わせのせせらぎ公園まで走った。
「ママ、ママ。」
小さく蓮が声を上げた。
「大丈夫。大丈夫だからね。」
香は自分の目がにじんでいくのがわかった。
(もう戻らない。絶対に。)
そう思っていると、見慣れた顔が見え手を振っているのがわかった。
「こっちこっち!!」
小声でそう叫ぶのは、3カ月前にSNSで知り合った唯だった。
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