親友の今/職場の納涼会

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親友の今/職場の納涼会

それから数年が過ぎた。もうトニーさんのことも思い出さなくなって久しい。 その間に父親が倒れ、伯父を見送った。義父母が健在なのは幸い。娘は中学に入学した。子育てもひと段落かな。 夫が最近落ち着かず、寂しそうな顔をしている。可愛がっていた部下の女の子がとうとう結婚するから。何度も会話に出てくれば、いくら鈍い私でもわかる。仕事の良くできる利発な女の子。社内報で顔を見たことがある。夫の好みの顔で思わず笑ってしまった。 一度くらいは寝たのかしら?そんな事を考えても全く嫉妬の感情も湧かない自分がおかしくて、また笑ってしまう。 「どうしたの、突然笑って」 訝し気に夫が私を見る。 「ううん、思い出し笑いよ、フフフフ」 真面目な顔して、私が妊娠中に同僚の女の子と飲みに行って、平気な顔して今〇〇と飲んでる、って写真付きでメッセしてくる人だもの、何やってるか分かったものじゃない。 三十路前の子とはいえ、四十代になって二十代のの女の子に恋ができるなんて、まだ夫も男だったんだなあ、なんて思いながら、夫が結婚式に着ていくスーツをクリーニングに出した。 別れたい、な。 子供が成人したら。 最近そんな事をよく思う。 私が大好きなアーティストが亡くなってしまって、人生をやり過ごしいくらか頑張る励みにしていた、その人の新譜がもう出ないんだ、ライブもしないんだ、ということにも打ちのめされていた。 それにかこつけて、私は家族にも憚らず泣いて過ごした。 私が側にいてほしいと思う人は、皆いなくなってしまう。 夫は友達と釣りに出かけ、娘は習い事に行ったある日曜の昼下がり、珍しい人から電話が掛かった。 「(あきら)、久しぶり!今いい?」 「久しぶり、真衣、元気?今大丈夫よ」 真衣は大学の時からの友達で、私が地元を離れたから随分会っていないけれど、それでも近況報告をたまにして繋がっていた。 「今度、そっちに行くから、飲みに行かない?」 「え?仕事で?」 「ううん。晶に会いたくて」 「真衣、有給取るよ!観光していってよ、案内するから!」 久しぶりに友達に会える。溜め込んでいた有休を今使わなくていつ使うの。旧友との再会に心が弾んだ。 新幹線の改札口。真衣を探す。 「晶!」 「真衣!」 何年ぶりだろう、真衣に会うのは。十年以上前に会ったきりな気がする。 「変わんないね、真衣」 「晶は雰囲気ちょっと変わったね」 「そうかなー?ほら多分髪が伸びたから」 十年経てば、人は変わらないわけはないけれど、お互いの変わらない部分を確認して安堵している部分があった。良くも悪くも、人は変わってしまうことがあるから。 観光地を案内し、楽しんでもらったと思う。私も楽しかった。 「ねえ晶、個室で美味しいお店、ある?」 私は予約していた店に個室がいいと再度連絡を入れた。 夫と娘には今夜は特別な日だから、とたっぷりシチューとお惣菜を作って置いてきた。心置きなく友達と語り合おう。 「積もる話があってさ……」 おしぼりで手を拭きながら真衣は言った。長い髪が自慢だったのに、今はすっきりショートカットにしている。ピアスが揺れて、彼女にとても似合っていた。 「カンパーイ!」 ビールのジョッキを合わせた。大学生の時は安い居酒屋で粘ってたっけ。 「真衣、何かあるんでしょ?わざわざ会いに来るって言うなんて」 真衣は何かを言いに来た。そんな予感がしたから、私から切り出した。 「あー、やっぱり晶には隠せないねえ」 笑って真衣が答える。 「料理が来てから話すね。そうだ、晶は子供何歳になったんだっけ?」 「中一。やっと少し手が離れた気がする。真衣の所はもう大学生だっけ?」 「うん。今年からね。県外だからもうこっちには帰ってこないと思う」 「そうなんだ……」 「二十歳が成人って言うけど、実際には十八だね。いつからか十八歳成人になるんでしょう?唯花ちゃんそうじゃない?」 「そうだっけ?」 私は慌ててスマホで調べてみた。 ”成年年齢が、2022年4月から、現行の20歳から18歳に引き下げられます” 政府広報のページにそう書いてある。 「あ、唯花は十八で成人するんだ……」 「ほら、あと五年だよ?あっという間。晶、それからの人生考えてる?」 「……ううん」 料理がやって来た。以上でご注文の品はお揃いでしょうか?という定型文にはい、と答えると、店員さんはごゆっくりどうぞ、と個室の襖を閉めた。 「私ね、離婚するんだ」 「え……?」 「子供が巣立ったでしょ?もし八十歳過ぎまで生きるとしたらどうする?あと四十年生きるって考えたら、夫と暮らすのは無理だって思ったんだ」 「でも旦那さんがあんなに好きで結婚したのに……?」 真衣は友達の中で一番早く結婚した。一番ラブラブで、恥ずかしくなるくらい夫への愛を表していた真衣が? 「あの人、一杯愛してくれたの。確かに。でもそれはずっと一人の人にじゃなかった。次々と浮気されて、好きでいられる?」 真衣は寂しそうに言った後、ビールを飲んで言葉を継いだ。 「三回目までは許した。でももうあれはそういう質なんだなと思ったら、腹も立たなくなったの」 その諦め方は少し私に似ていると思った。 「だからね、私もやってみたの」 「どういうこと?」 「知らない男の人と寝てみた」 真衣が知らない人に見える。恋愛してもいつも一途な子だったのに。 「何よそれ!」 思わず声が大きくなってうわずった。 「ほら今アプリとかで簡単に出会えるでしょ?だからそれで」 淡々と話す真衣が恐ろしかった。知らない人とその日に?寝てしまうの? 「でね、やってみたら……こんなもんか、って思ったの」 そういうことをしたことの無い私は意味が分からない。そのまま真衣の話の続きを聞いた。 「知らない男と散々セックスしたって、何も変わらないの。普通に晩御飯作って、当たり前に子供も夫も帰って来て、テレビばっかり見てないでお風呂入ってよ、って。普通に言えるの。……こんなもんか、って思うようなことで、私は結婚生活の殆どを悩まされてきたんだと思うと、本当に、馬鹿らしくて……」 真衣は目の縁に涙を溜めて、ジョッキを持つ手は震えていた。 「真衣……」 「……だからね、私、またちゃんと好きな人見つけて、その人と抱き合いたいって思ったの。もうあの人と一緒にいることが、耐えられない……!」 真衣が個室にしてほしいと言った意味が分かった。この話をしたら泣いてしまうとわかってたんだ。 「もう、旦那さんと話は終わったの……?」 私はそっと尋ねた。 「うん。浮気ばかりしてたから、いつもお願いしてる弁護士さんに頼んだ。やっと踏ん切りがついたんですね、って言われちゃった……」 泣き崩れる真衣の横に座り、抱きしめた。震える身体を撫でると、私にまで震えが伝わって来て、一緒に泣きそうになった。 少し落ち着いてきて、真衣が口を開いた。 「……だから、晶も無理しちゃダメだよ。時間は有限なんだから、自分のために使わないと。あの男友達とは、どうなったの?」 昔、うっすらとトミーさんのことを話していたことがあった。音楽の話ができる友達ができた、と。 「もう、何年も昔の話だよ~?全然会ってないし、連絡も取ってない」 「どうして?好きだったでしょ、その人のこと」 「えー?真衣、そんなこと無いって、好きなんかじゃ無かったよ?友達!」 「ウソ!惚れっぽくない晶が男の人のこと話すなんて珍しかったもん」 でも今さら彼を好きだったと言って何になるだろう。 「浮気はしないって決めてるから」 「そっか、晶は好きになったら本気だもんね」 友達の言葉で、自分の性格を思う。真衣の言う通り、私は好きになったらその人だけだから、味見してまた戻るとかはできない性分だ。 お互いに割り切って遊べてたら、もっといい思い出になっていたのだろうか? 浮気はいけないことだと思う。だけどもう、夫への愛情は枯渇してしまった。無くなったというより涸れ果てた。心底好きでは無かったけど、一緒に生きていけると思っていたのに。 「うん。私が器用じゃないの知ってるでしょ?」 「お互いにね」 真衣が笑顔を見せてくれた。良かった。 私は自分の席に戻って、もう一度真衣と乾杯した。 真衣の言ったことが、最近何度も頭にこだまする。 ”あと四十年、今まで生きたのと同じくらいの長さ、生きるかもしれないんだよ?” 職場でパソコンの手を止めた。 私はもう、十数年、誰からも抱き締めてもらっていない。 抱き締めることは、あっても。 その事実を意識してしまってからは、ますます夫と同じ空間で息をするのが辛くなった。夫の部下の女の子は産休に入り育休はそこそこで復帰すると聞いた。そんな事を嬉しそうに話す夫。 「へえ、仕事ができる子だったから、職場的には良かったねぇ」 私もそうだった。突然仕事を辞めてきた夫の為に、産後八週で私は働きに出た。元々身体の強くなかった私は、未だに体の不調が続いている。 多分その子も働かないといけない事情があるか、子供と二人でいたらおかしくなりそうなのかどちらかだ。 「そんなに早く復帰して身体は大丈夫かな」 他所の気に入っている女性にはそういうことが言えるんだ。私には一言もそんな言葉は無かったのに。私は買い物に行ってくるからとその場を立ち去った。 スーパーへの道のりを歩きながら思う。 唯花が大人になったら、成人したら、一人になろう。 今を耐えるために、自分へのニンジンをぶら下げて、私は生きることにした。
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