親友の今/職場の納涼会

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だから、その二年後に、オルゴールを見つけた時は胸が高鳴った。 私にご褒美が来たんだと思った。 トニーさんに渡せなくても、そう思って彼を思い出したことが何となく嬉しかった。 「(あきら)さん、えらくご機嫌ですけど、何かいいことありました?」 五歳下の同僚だった松永君は、正社員だったからあっという間に私の上司になっていたけれど、変わらずに私を晶さんと呼んでくれていた。 「んー?オルゴールを買ったの」 「オルゴール?晶さんそういうの好きでしたっけ?」 「好きな曲がたまたまあったから。奥さん連れて行ったら喜ぶかもよ?」 「そうですね、行ってみようかな」 三年前に松永君は結婚した。子供は早い方がいいよって言ってるけど、まだ要らない、んだそうだ。奥さんがいくら年下と言っても三十代だから、女性としては早い方が体に負担が無いのにな。まあ、余計なことよね。他所のご家庭のことだもの。 私はその理由に少しも気付いていなかった。 職場の納涼会。こういう日は夫が早く帰って来てくれる。普段が残業しているのか遊んでるのか分からないから、たまには娘とこういう日に会話してくれたらいいな。 ビヤガーデンでの会だから、最初は並んでいるけれど、飲み物と食べ物を取りに行っているうちに、あちこちに仲良しのメンバーで輪ができる。私は、移動をする気にもなれず、ずっと同じ場所で食べていた。 「晶さん、どうしたんです?食べに徹してるの?」 ビールジョッキを持ってきたのは、女性社員に囲まれていたはずの松永君だった。 「ああ、松永君……じゃなくて主任、だったね。ゴメン。昔の癖で」 「久しぶりですね、そう呼んでくれるの。あ、唐揚げもーらい」 私の紙皿から松永君が大きな唐揚げを摘まんで、一口で食べた。 「最後の一つだったのにー!」 「珍しいですね、そんな風に言うの。酔ってる?」 松永君がジョッキを持って私を覗きこんで来た。いつもよりビールが美味しくて、少しピッチが早かったかもしれない。 「うん。ビールと唐揚げが美味しくて」 「ここより美味しいとこ知ってるから、行きません?もうお開きだし」 所長が「では皆さん一本締めで締めたいと思います」と締めの挨拶を始めたから、私と松永君も立ち上がった。 「みんなに二次会捕まる前に行こう」 何を言ってるんだろう?松永君?ボーっとしている間に私は松永君に腕を掴まれてエレベータに飛び乗った。まだ同じ職場の人たちは乗っていなくて、知らない人たちと乗り合わせた。 「私、帰るよ……?」 「降りてから話しましょう」 丁寧な口調とは裏腹に、混み合ったエレベータで私は、後ろから回された松永君の腕に包まれていた。あ、松永君の匂いだ。私は瞼が重たくて目を閉じた。 「着いたよ。降りよう」 エレベータが着いたことを教えてくれた声で、目が覚めた。聞いたことのない低い声。 「え……あ……ありがと」 「行くよ」 腕を引かれて、私と松永君は夜の雑踏に紛れた。 「唐揚げは、また今度で」 「え?」 けれど松永君はどう見ても駅の方には歩いていない。 「どこ行くの?」 夜の繁華街をずんずん歩いていく。 「この辺りのには行ったこと無いの?それとも行くの初めて?」 何のことだかわからない。 「何のこと?」 ラーメン屋とかクラブとかスナックとかが乱雑に並ぶ道を歩く。 急に横に腕を引っ張られてどこかの建物に入った。 「きゃ……⁈」 液晶画面に並ぶ部屋の様子を見て、やっと私はここがどこか、何を言われているのかを理解した。 「松永君、私帰る!」 「やだ。いい加減俺の気持ち、わかってよ」 振り払おうとしても腕を強く掴まれた手は緩まない。 「いい年して、どうして晶さんはいつまでもそんな風に俺を煽るわけ?」 「ね、松永君酔ってる、放して」 「そうだよ、酔ってる!」 どんどん彼は私を連れて奥に進み、部屋に私を放り込んだ。 「晶さん、どうしてそんなに無防備なの?どの男の前でもそうなの?ねえ、男を知らないにも程があるよ」 そう言いながら松永君は私を抱きしめた。しっかりと筋肉の乗った腕と体の温かさに驚く。それは私がずっと忘れていた、男の人の身体が自分に触れる感覚だった。 「……人一人産んだ人間掴まえて、何言ってるのよ……」 自分を落ち着かせるためにも、敢えて年齢をかさに着た言い回しをした。 「じゃあどうして、ずっと見てる男の気持ちに気付かないの?鈍くない?」 耳元で低い声が響く、こんな声を出すなんて知らなかった。これは私が聞いていい声じゃない。女を欲しがっている男の人の声……身体が震える。 「待って……松永君結婚したじゃない、可愛い奥さんいるでしょ?それにほら私随分年上だし……」 冷静になってもらわなくちゃ。私は現実を差し出したけど、彼の行動を止めるには、何の意味も持たなかった。 「晶さん、今あなたをこうしてて、俺が好きで結婚したと思う?俺、十年近く好きなんだよ?それに、三十八はもう子供じゃないけど?いつまでも子供扱いするなよ」 そんなの知らない。けれど松永君の顔はとても辛そうだった。左腕で腰を抱いたまま、彼の熱い右手が私の頬を撫でる。 「周りがうるさいから結婚したって言ったら怒るの?人の気も知らないでさ、何が子供早く作れだよ!」 松永君は私の顎を掴んで口づけた。閉じていた唇に指を差し込まれ、開かされると同時に舌が入って来る。 頭では抵抗しているのに、身体が言うことを聞かない。 キスすらずっとしていなかった私の身体は、急な出来事に全く対応できなかった。唇の感触や舌を、そのまま感じてしまう。勝手に身体が反応する。 「んっ……ん……」 誰か助けて、私、松永君としたいわけじゃないのに! けれど彼は長いキスを止めない。身体の力が抜ける。 「晶さん……ゴメンもう無理、我慢できない」 松永君の吐息の混じった声は私の体温を上げる。彼はベッドに私を横たえた。 「ずっと好きだった。俺のものになってよ」 倫理的にダメだと思うことよりも、身体の反応を止める方が無理だった。 頭で考えても止められない。 もっと、して欲しい。 二度目のキスを、私は素直に受け入れた。 「――こんな声出すなんて、煽りすぎだよ、晶さん」 触れられるたびに、自分でも出したことのない声が上がってしまう。手の甲を噛んで耐えると、ゆっくりをそれを外して彼は言った。 「もっと、イイ声聞かせて……」 ずっとしていないことは言わなかった。別に松永君の為にしなかったわけでも取っておいたわけでもないから。 なのに、彼は私の中に入ってしまうと動かずに言った。 「するの久しぶり?どう?中の感覚」 恥ずかしくて言葉が出ない。何でそんなこと聞くの?いっぱいで苦しい。 「あ……」 「ほら、俺の形にしかならないもん」 それってどういうことだろう、と考える隙を与えずに、松永君は動き出した。 「――っあ、もっと、ゆっくり、して」 どうしていいかわからなくて私はシーツを掴む。その手を松永君はゆっくりと外した。捕まるものが無くて、思わず彼にしがみつく。 「いいよ。ちゃんと俺の下の名前呼んでくれたら、ゆっくりしてあげる」 綺麗な顔で笑いながら、松永君は交換条件を出した。 ああホントだ、いつの間に大人の顔になってたんだろう。子供扱いしてた私が間違ってた。 「あ……誡人……かいと……おねがい、ゆっくり、して……」 「うん、晶、これが、俺だから、じっくり、感じて……」 耳元に途切れ途切れの言葉が届く。松永君が一番奥まで深く入った。 息が、できない。なのにふわふわして、どこかに飛んでしまいそう。 後はもう、されるがままだった。 泣いてもどれだけお願いしても、私が声を上げている間はずっと。 その日、私は結婚後飲みに行って、初めて外泊をした。 「ねえ、晶さん……」 松永君の手が私の髪を優しく撫でる。私の頭は彼の腕の上だ。 「ん……なに……?」 「俺、晶さんが離婚するまで待つから」 深く深く眠って、目が覚めて言われた言葉はそれだった。 「奥さんだって、松永君のこと好きなんでしょう?裏切りだよ、もうこれっきり……」 腕で頭を挟まれて、動けないようにされたまま唇を塞がれる。何度も気持ち良くなった身体は、簡単に唇と舌と口内から快楽を探し出してしまう。 「無理だよ。俺は晶さんのだから。こんなに気持ちいいなんて、思ってなかった」 私は、身体の相性というのはよくわからなかったけれど、松永君とこうなって、そういうのがあるんだ、と知った。 キスだけでこんなに蕩けてしまう。 夫とはこんな風にならなかった。感じたふりをして、終わるまで待つのが身体を重ねることだと思っていた。 私はおかしくなってしまった。昨日あんなにしたのに、松永君を好きな訳でも無かったのに、まだ身体が欲しがっている。 「ほら、そんな顔するくせに……晶さん、好きだよ……離さないから」 首筋を這う彼の唇に、また私は声を上げた。 「池田さんにお礼言わないとな」 「そうね、すっかり話し込んじゃって」 朝帰りをした私に、起きてきた夫がそう言った。 池田さんは私と同世代の独身女性で、気が合うので職場で一番仲良くさせてもらっている同僚だ。夫も知っている池田さん。その彼女の部屋に私は泊まったことになっている。 私は帰ってすぐにシャワーを浴び、家族のものと一緒に洗濯物を回した。松永君が残した跡を見ながら。 「晶さんは、俺の……」 と言いながら、松永君は私の腰の骨の所に赤い跡を残した。 「何でそんなことするの……!」 「ここなら打ったって言えばわかんないよ。寝てないんでしょ?旦那と」 笑いながら言ってたけどそんなの見つかったら誤魔化しがきかない。現に、私の右腕には彼が強く掴んだ跡が残っていたし、ほんの二時間前まで掴まれていたお尻にはうっすら指の跡がついている。 やっぱり全部本当のことなんだ。 私は松永君と寝たんだ。 「たまにならいいけど、事前に言ってくれよ?心配するから」 「うん、ゴメンね」 どういう心配なんだろう。定時で仕事を上がっても真っ直ぐ帰ってこない人が。 罪悪感は無かったけれど、バレるのが怖くて、私はいつも通りに振る舞うことに腐心した。 「お母さん、今朝のご飯なにー?」 目をこすりながら娘も起きてきた。いつかこの子も男の人に抱かれる日が来る。どうか、私みたいにならないで。 「クロックムッシュよー」 「やった!」 冷凍保存しておいたホワイトソースが数分でレンジの中で沸騰する。 凍らせる前よりも急激に熱くなったホワイトソース。 でもそれはゆっくりガスコンロで温めたものよりは味が落ちる。 私は、松永君を嫌いじゃないけど、男性として好きかと言われたら首を縦に振れない。 けれど、今私を抱き締めてくれるのは彼しかいない。 多分また私は彼に抱かれるだろう。 その後も、松永君は隙を見ては私の身体を求めた。 「晶さん、これに関する資料、古いやつなんで倉庫の方にしかないと思うんですけど、探してきてもらってきていいでしょうか?」 「……わかりました」 メモ用紙をもらって、その資料を探した。資料室は二つあって、ファイルが並んでいる資料室は社内にあるけれど、古くなった資料は奥の倉庫にしまうようになっている。古い案件で今頃問題が出てきたので、昔はどうしていたのかを確認する必要がある。ダンボールを運び、下ろして、その年の書いてある箱を探す。 「積み上がってるなあ……困る……」 最近のは手前にあるけど、五年前の案件で、脚立を準備しないと無理そうだった。 「晶さん」 「あ、主任、すみません、時間が掛かってて」 松永君が様子を見に来た。時計を見るともう三十分が過ぎている。私はすぐに見つけられないことを謝罪した。 「今は誡人(かいと)って呼んで」 気付けば彼の腕が私を包んでいた。当たり前のようにお互いの唇が重なる。 「ん……ダメ、会社……」 「じゃあ、今週中に抱かせてくれる?……そうじゃなきゃここで抱くよ」 吐息交じりの低い声でそんなこと言わないで。 「どうしてそんな聞き訳が無いこと言うの……」 「……好きだから」 彼の名前は”いましめる”という意味の漢字が入っているはずなのに。どうしてそんなに自制が利かないの……。 身体が熱くなる。深いキスに立っていられなくなって、松永君にしがみついた。 「八年分だからね。俺、三十代全部晶さんのことだけ考えて生きてきたんだから、しつこいよ」 彼の手が私の頬や髪を撫でる。私の何が、どこがいいのかわからない。 「じゃあ、木曜日の昼間なら……」 その日はPTAの用事があるけれど、朝で終わってしまう。午後から出勤が面倒で有休を取った日だった。 「わかった。また連絡する。名前は?呼んでくれないの?」 どうやって時間を作るつもりなんだろう。簡単に休みなんて取れないだろうに。 「……誡人(かいと)……」 ロボットのように命令されて私は彼の名前を呼んだ。 「ありがと。その顔戻してからおいでよ?やらしいから」 松永君は私にまた軽くキスをすると、私の腰を抱いていた腕をほどき、資料の入った段ボールをすぐに見つけた。 「この中に入ってるから」 知ってて、私に頼んだんだ。この倉庫に私を連れてくるために。 「……意地悪ね」 「単なる上司の指示だよ。じゃあ後はダンボールを積み直して、該当資料を持ってきてください、林田さん」 私の結婚後の姓を松永君が呼ぶ。いつまでも慣れない夫の苗字。 「……わかりました」 松永君を好きな訳じゃない。なのに身体は勝手に熱を持って、彼に抱かれた感覚を思い出して反芻する。 木曜日、呼び出されたのは、地元からも会社周辺からも少し離れた地域の小さな無人駅だった。 ”黒い車で待ってる” ひなびた改札を出るとすぐ黒い車が停まっている。ドキッと心臓が跳ねた。これは、昔トニーさんが私を乗せてくれたのと同じ車種だった。覗くと松永君が乗っている。 ”乗って”と彼の口の形がそう言った。 「晶……」 すぐに彼の手が私の顔に伸びて、私は目を閉じた。彼の唇は厚くて私の口なんてすぐに食べてしまうみたいにおし包む。 ああ、これが、トニーさんだったら。あの日、キスしてくれていたら。 私はどうして逃げるみたいに車を降りたんだろう。 松永君は少し車を走らせると、お洒落な建物に車を入れた。そういう目的のホテルに。 「いろんなところ知ってるのね」 「口コミとか調べたんだ。いつも行ってるわけじゃない」 それをけなげだ、可愛いと思えたならいいのに。最後の一言が余計ね。彼は綺麗な顔をしているから、誰だって相手はいるだろうに、どうして私なのだろう。 彼と寝た後に、混乱しながらネットを見ていたらこんな意見があった。 ”四十代の女は飢えてるから、後腐れなく抱くにはお手頃” ”身体もいい感じに熟れてるしな” もしそうだったとしても、それの何がいけないんだろう。 今私を抱きしめてくれるのはこの人しかいない。 「晶、一緒にシャワー浴びようよ」 ベッドまで彼が我慢できるはずもなく、私は浴室で抱かれた。 松永君と会うたびに、したことがないことをして、触れられて感じる場所が増えていく。 「もっと気持ち良くなって、晶」 「か、いと、そこ、好き……もっと……」 私は脚の間にある頭を見つめ、彼の髪を掴んだ。腰が跳ねるのを止めることができない。 私は初めて男の人に、そうされると好きだと言い、もっとして欲しいと強請った。 そしてその度に思った。 トニーさんはどう抱いてくれるんだろう、抱かれたらどんな気持ちになるだろう、と。
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