【13】「カケノブ」⑦

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【13】「カケノブ」⑦

 しかし、よくぞこれだけカメラを回す勇気があったなと思う程、物橋さんは意外な場面をも撮影していた。例えば、十二月九日の早朝、街へ降りた大関美咲さんたちを見送った後、夏目摩耶さんと合流する場面ではすでに物橋さんはカメラを回している。僕が意外だなと感じたのには理由があって、この時彼女は夏目さんと共に村の中でカメラを設置できる場所を探す段取りをしていた。にも関わらず、すでにカメラの一つを録画状態にして手に持っていた、ということになる。僕ならばこうはならない。スマホなら分かる。しかし鞄に入れたビデオカメラを、設置前にわざわざ取り出すことなど億劫でしかないからだ。夏目さんにダンスを希望するシーン辺りで回し始めても全然遅くはないと思う。とは言え、物橋さんのこの職業病ともいえる勇気があってこそ、夏目有三さんが仁王立ちしながら怒号を上げる、鬼気迫るシーンが撮影できたわけなのだが……。  他にもある。例の、祖母である長篠千歳さんの部屋での場面などはその最たるものだろう。よくこんな状況でカメラを回し続けられたものだと感心する。そもそも物橋さんは千歳さんに、この村で起きている怪現象について聞きにいっている。つまり、質問に答えてもらいたいという願望を胸に訪れているのだ。その相手に向かってカメラを向けるとなると、これには単なる勇気以上のものがあると思うのだ。現に、千歳さんが『声』について話をすることを渋ったように、本来ならまともに話が出来るかもわからない状態だったのだ。そこへ来て、間接的ではあるものの、一度は映画撮影自体を断られている。そんな人たち相手に撮影を決行するなど、僕には絶対に真似出来ない芸当である。  目の前の物橋さんに向かってそう打ち明けると、彼女は眉尻を下げ、右手を顔の前で左右に振った。 「全然、全然、本来ならもっともっと回す予定だったんですよ」  僕は半ば呆れながら、 「もっとって」  モニターに映る村の様子と物橋さんを交互に見つめた。 「当初の目標では村での撮影許可を取り付けられたら、日常の生活シーンを撮るはずだったんですよ。それがもうほとんど田舎の田園風景とか、摩耶が踊ってるシーンだとか。あとはもう、勢いとか惰性とか、そんな感じで」 「惰性ってことはないでしょうけど。……でも、おばあさんのお話は驚きましたね」 「戦争、ですか?」 「ええ」  物橋さんと二人して、『穴掘り男』について考察してみた。その結果『穴』についての僕が出した見解は、「災害」だった。だが事実関係を聞いてみればなんのことはない、何故最初にその可能性を思いつかなかったのかと恥ずかしくなるほど納得のいく話だった。  戦争と死。小さな田舎の村にとって、戦時中における人々の死は弔いの対象でさえなかったのかもしれない。きっとそれは家族だろうが友達だろうが、他所から来た学童だろうが同じことで、一人ひとりに手を合わせて祈りをささげる心の余裕さえ削り取られ、疲弊しきっていたのだ。ただ穴を掘り、火をつける。それは戦争を生きぬいた人間にしか語れない悲しいすぎる死の形だった。 「ただ……」  その先を言いかけて僕は口を噤んだ。  障子と窓ガラスを隔てたすぐ向こう側に現れたという穴掘り男の声、そして言葉。偶然カメラに収められたノイズのような声を聞いた時、僕の全身がびきびきと粟立つのを感じた。怖かったのはその呟くような声もそうだが、聴きとれる単語をつなぎ合わせても何一つ話の内容が頭に入って来なかったことだ。確かに関西弁という訛りは強さによって障壁となる場合があるものの、意味のわかる単語を聞いて尚全く理解できないなんて思いもしなかった。言葉を扱う人間の端くれとして、恐怖を感じるその一方で、なんとか理解しようと聞き耳を立てた。物橋さんはその間ぎゅっと瞼を閉じ、唇を噛んでいた。僕はそんな彼女を見つめながら、ひたすら『穴掘り男』の言葉を反芻し、理解しようとした。  だが、千歳さんの言った「戦争と死」という厳然たる真実からは、その男の話はどうしたって遠のいていってしまうのだ。穴掘り男の語った言葉は、僕には戦争とにしか聞こえなかった。だから、理解ができないのだ。 「いや、まあ、よしましょう」  僕は『穴掘り男』からは一旦目を背け、「それで結局、徹さんが見せてくれた歴史的建造物って、なんのことだったんですか?」  と聞いた。 「あー」  と物橋さんは声を出した。 「……家と」 「家と?」 「穴です」 「あ、な」  また、穴か。  話の方向性を変えたつもりが、また同じ場所へと帰って来てしまった。 「徹さんが物橋さんに見せたいと言った建物って、家なんですか?」 「……はい」 「どなたの家ですか?」  なんとなく、あの村には長篠家と夏目家、そして新参者である鴫田さんの家しかないような気がしていた。だが最初にも聞いた通り、もともとはその他にも住人がいたのである。やがて時代とともに環境が変化し、引っ越す者や亡くなる者たちで村全体が変わっていかざるを得なくなった。現在のあの村の風景は、最初からそこにあったわけではないのだ。 「あー」  とまた物橋さんは言って、「……先生」と僕を呼んだ。 「はい」  物橋さんは缶ビールを口元に添え、ニコ、と笑った。 「……え、なんですか?」 「先生」  物橋さんはパソコンチェアに座りながらくるくると左右に体を回転させ、 「先生がご自身で一番好きな作品って、どれですか?」  と聞いた。  僕は正直なんのことだか分からなくて、無言で視線だけをきょろきょろとさせた。女性らしく可愛らしい動きを見せる彼女を見つめるのがなんだか面映ゆい気がして、「あー」と僕も彼女を真似てみた。 「なんでしょうね。……突然だなぁ」 「あははは。自分で聞いてくださいーって言っておきながら、なんだか村の話をするのが少し疲れちゃいました。ちょっとここらで、私の好きな、先生の作品の話がしたくなったんです」 「僕は多作ではないですからねえ。限られますよね」 「ちなみに私は、デビュー作は何度も読み返しました」 「デビュー作。どれだろう」 「え。先生ご自身のデビュー作も忘れたんですか?」  僕はぷっと吹き出して笑う。 「どうでしょう。でも一番初めに発売された単行本の一話目を言っているなら、あれはデビュー作じゃありませんよ?」 「『左目で見る』に収録されてる『回転倒立』のことですか。分かってます。デビュー作は『一日の終わりに』のはずですよね」  僕は驚き、 「御見それしました」  と座ったまま頭を深く下げた。 「十年くらい前ですよね。私高校生の頃買って読んで、もう本当ずーっと読んでたんです。授業中とかも、家に帰ってからも」 「それはぁー……嘘でしょう?」 「嘘じゃないですよ」  物橋さんはそう言って立ち上がると、黒いリュックの中から一冊の単行本を取り出して僕に見せた。 「う」  『新辺』と表紙に書かれた、とても年季の入った本だった。  個人的な話で恐縮だが、僕が一番初めに出版社から本を発売したのは、実を言うと文芸誌に掲載してもらった文壇デビュー作を収録していない、短編連作だった。商業誌に載った最初の作品をデビュー作と呼ぶなら、僕のデビュー作は物橋さんの言った通り『一日の終わりに』という短編ホラー小説であり、それを収録した『新辺(ニイベン)』は単行本二作目である。何にせよ、確かに十年以上前の本である。今でもはもう、僕としては目に入れたくないほど拙い小説ばかりであり、それと同時に強烈に愛着のある我が子でもあった。 「ほらあ、ちゃんと持ってるでしょう?」 「え、ええ。すごいですね。もう絶版なんですけどね、これ」 「残念ですよねえ。いい本なのに」 「ありがとうございます。こんなことを言うのは失礼ですが、物橋さん、随分変わったお人なんですね」 「どうしてですか?」 「僕がこれを言うのはよくないですが、こんな僕の作品をここまで大切にしてくれるのは、きっとあなただけですよ」 「そんなことないと思いますけど、でもそうだったら嬉しいなあ」 「嬉しいんですか?」 「私昔っからそうなんですよ。自分の好きなものは自分だけ好きだったらそれで良いって思っちゃうタイプで」 「あー」 「だからこの仕事してても、本当に先輩方のアドバイスとか聞けないんですよ。自分の好きなようにしか作れないんです。万人受けしてほしいと思ってないし、却ってそういうものは思い浮かばないというか」 「分かりますよ」 「先生だって特にデビュー当時はそうですよね。さっきの『回転倒立』だって、わりと尖ってますよね」 「あはは、尖ってるかどうか分かりませんけど、まあ、考えて書いてはいますよ」 「本当は『倒立回転』が正しいんですよね」 「正式には『側方倒立回転』とか『前方倒立回転』ですね、器械体操の。だけど回転するじゃないですか。だったら回転倒立でも同じじゃないかなって。本当は全然違うんですけどね、だけどそういう、言葉だけでは本質の分かりづらいものって一杯あるよねっていう、そういうお話だった気がします」 「好きですこのお話も。あ、一度聞いてみたかったんですよ。私の好きなこの『新辺』、ニイベンってふり仮名が書いてありますけど、どういう意味なんですか?」 「ああ。これは、僕が大学時代にお世話になった文芸サークルの先輩です。二人の名字を一文字ずつ取ってくっつけただけの造語で」 「新てつく人と、辺てつく人と」 「そうですそうです。でも当時、版元の編集さんにも、本当にこの名前で行くのかってすっごい詰め寄られて。タイトル大事ですよ、これ、ひょっとしたら売れないかもしれませんよって」 「あははは!」 「まあ、本当に売れなかったんで編集さんには申し訳ないことしたなーって」 「おもしろーい、先生やっぱり素敵です」 「考えなしだっただけですよ、今思うと。それで言うと、やっぱり僕が一番好きで愛着持ってるのはやっぱり、『丸命(まるめい)』ですかね。賞を貰ったり、映画にもしてもらったり、ドラマも。こうして物橋さんのような才能の塊みたいな人と一緒に仕事が出来て」 「覚えてなかったくせに」  小声で捲し立てる彼女の笑顔を見つめながら、 「本当に、良い巡り合わせをもらったと、そう思います」  僕はそう答えた。 「私もです、先生」  物橋さんはそう言って、手に持った『新辺』の表紙を愛おしそうに眺めた。「……私、この物語に出て来る主人公に憧れたんです」 「憧れ? 『一日の終わりに』ですか? ホラー小説のはずですけど」 「はい」  仕事に疲れて帰ってくると、一人暮らしの女主人公の部屋のクローゼットがいつも少しだけ開いている。毎日のことに、主人公はだんだんと怒りを募らせていく。最初にあったのは不安と恐怖だ。社会人としての生活に慣れ、夢の一人暮らし、自由気ままな時間を謳歌したい。しかし必ず、家に帰るとクローゼットが開いている。恐怖はやがて怒りに変わり、主人公はついにクローゼットを閉めずに、思い切って開いた。 『ユカリ……ユカリ……』  恨めし気な声で泣く女幽霊が現れ出でる。  その時、主人公がこう叫ぶのだ。 「私はヨーコだ!ユカリじゃねえ!」  幽霊は化けて出る場所を間違えていたのだ……。 「これ私最高だなーっていつも思うんです」  物橋さんは『新辺』を抱きしめながら天井を見上げる。 「そ、そうでしょうか?」 「はい。一見ホラーだし、一見コメディなんです。だけど実際この作品に生きてるヨーコちゃんは、絶対真剣なはずなんですよ。私、分かるわぁ、ってずっと思ってて。自分のこう、テリトリーというか、仕事でもプライベートでもそうですけど、守りたい聖域みたいなのってあるじゃないですか。そこを犯してくる人とか物とか突発的な事故とか、私本当苦手なんですよ。それこそもうヨーコちゃんばりに『私はものしりだけど物知りじゃなえ!』って叫びたいこととか」  僕は手を叩いて笑った。  作品と同じである。彼女にとっては真剣なことでも、傍から見れば単なるコメディでしかない。僕の書きたかった内容を本当に理解してくれている証拠だった。 「自分で『ものしり』って名前で活動してるくせに妙に腹立つことがあって。先生には分かんないかもしれませんけど」 「いやいや、僕だって梯伸郎を縮めて懸延ですから。もう意味分かんないですよ。説明求められても答えようないですよ、名前もじって縮めただけなんだから」 「先生のせいですよ。私が『ものしり』名乗ってるのも先生のパクリなんだから」 「……え」  そこまで言うか、と僕は思わず黙り込んだ。しかし当の物橋さん本人はあっけらかんとした顔で缶ビールを飲み、そして本とビールを机に置いて、「さて」、村の様子を映したパソコン画面へと向き直った。 「先生?」  カチカチ、という小さなクリック音とともに、物橋さんは僕を呼んだ。 「はい」  と僕は答えた。 「私のこと、嫌いにならないでくださいね」 「……なんですか?」 「先生」 「……」 「私、見たんですよ。あの村で……あの家を」  言われて僕はパソコンの画面に目を向けた。 「あの家と、あの……穴を」 「穴」 「先生……私のこと、嫌いにならないでくださいね。約束ですよ」
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