【4】「ものしり」②

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【4】「ものしり」②

 2015年12月8日、祖母の家で遅めの昼食をいただく。  真美さんお手製の野菜たっぷりシチューが冷えた体には嬉しかった。「あんまり撮らんとってやー」と私の持っているカメラを警戒しつつも、その口調は照れ半分、嬉しさ半分といった感じに聞こえた。  玄関寄りにある居間に案内された所で、山から戻ってきた真美さんの旦那さん、徹さんを紹介された。真美さんより三つ年上の五十九歳。色黒で小柄な、年齢の割には皺の多い、猿ような顔の男性だった。私の母・君子の実兄である。徹さんは私をひと目見るなり、 「……ごっついなあ」  と真美さんと同じ反応を見せた。背が高いというわけではない。関西特有の方言なのだと思うが、強調の意味で使われるという認識である。「とても」とか「ものすごく」に近い。ごっつい美味い、ごっつ眠たい、などがそうだ。徹さんや真美さんが仰るごっついはこの場合、形容しがたい異物としての私に強く驚いた、そういう感覚なのだろうと思う。 「はじめてまして、ではないのかな。東京から来ました、物橋リクです。君子の娘です」 「おおお、リクかぁ。覚えてんでえ。お前こーんなちっこいガキやったやないかあ!」  と、徹さんは右手の平を下に向けると、自分の膝の高までその手を下げた。滑稽な動きに思わず私は吹き出して笑った。 「御無沙汰してます」 「おお、聞いてる聞いてる」  徹さんは被っていた帽子をとって部屋の片隅に投げ捨てると、大きな食卓の定位置であろう席に腰を降ろした。「君子は元気にしとるんかいや」 「はい、元気でやってます」 「まあ座りいな」  大きなお盆からお皿を並べ置きながら、真美さんが言う。「一旦カメラも起き」 「はい」  素直に頷きながら、しかし電源は落とさなかった。しばらくの間は食卓の下から一同の膝小僧を映すだけとなったが、これは悪意や計算というより癖である。無意識なのだ。 「芸能人なんか?」  と徹さんが聞いた。すると、 「まあ」  と、すでに着席していた祖母が華やいだ笑顔で私を見た。 「いやいや、芸能人ではないですよ」  と咄嗟に関西弁で返す。 「君子電話で言うとったで、なんや、映画撮るんやー言うて。なあ、ばあちゃん」 「うんうん。私にはよお分からなんだけど。楽しいのはええことよ」 「あはは、うん、楽しいですよ。なんやかんや言うて」 「ほお。そない美人な顔から関西弁聞くと、なんや上等に聞こえるな。なあ真美、お前もなんか言うてみい」 「なんかてなんや。なんやかんや言いましても~」 「漫才やないか」  分かりやすいひと笑いがあって、食卓を囲みながら東京での私の仕事へと話は続いていく。 「女優さんなんか?」  と真美さんが聞いた。 「いえ、違います。母からどんな風に聞かれたのは分かりませんけど、私、今映画を撮る方の、あの、撮影する方の仕事に関われそうなんですよ」 「カメラマンかい」  と徹さんが言う。 「というか、監督の方ですね」  おおおお、というどよめきが交差する。祖母はよく分かっていない顔で、ニコニコと微笑んで私を見ていた。私は今が好機と踏んで、東京でいただいた映画製作の話や、想像している物語のプロットなどを分りやすく話してきかせた。具体的な絵は浮かんでいなかっただろうが、私が演者ではなく裏方であることだけは理解してもらえたようだった。 「でもまだ二十そこそこちゃうん」  と真美さんが驚く。「そんなんで映画撮ってええのん」 「経験がないんで、認めてもらえるかは分かりませんけどね。でもまあ、せっかくお話をいただいたんで、本気でやってみたいなーと」 「ええがな。キャーン言わしたれ」  いかにも関西チックな徹さんの一言に、「誰をやねん」とこれまたいかにもな真美さんの突っ込みが入る。 「それで、お願いがあって来たんですけど」  と私が本題に入った時だった。  この村を舞台に撮影させてほしい。出演するのは無理だとしても、日常における田舎ならではの知識や生活の知恵などをお借り出来ないだろうか。ことさら田舎を美化することも、都会を卑下することもしない。どちらにも苦悩と喜びがあるということを見せながら、希望を感じられる明るい絵を撮りたい。この村で……。  しかし私が話をする途中から、徹さんや真美さんの表情が曇り始めた。私は彼らの表情の変化を察知しながらも、自分がどこで道を間違えたのか分からないまま説明を続けた。ふと見ると、さっきまで意味も分からずニコニコと微笑んでいた祖母までが、私から目をそらして食卓の煮豆を見つめていた。 「無理な、ご相談でしたか」  と、標準語でお伺いをたてた。  すると徹さんが何かを言いかけて箸をくるくると動かした。が、そのまま言葉を呑みこんだ様子で、最後に、 「まあ、応援はしたりたいけどなあ」  という意味深なセリフを呟いた。 「この村やないとあかんのか?」  と真美さんが私に問う。その口調に怒りはなく、むしろ心配している様子だった。 「いや、そういうわけやないんですけど、今お話ししたような、若者の葛藤とか、生きる場所、みたいな構想はもともとあったんです。今回は、母が、おばあちゃんがおるこの村がええんやないかて、勧めてくれたんです」 「君子が?」  と徹さんの顔が曇った。  本当はこの話はしたくなかった。母から勧められたのは本当だが、それを理由にしてしまうと、この村で撮影がしたいという私なりの根拠と熱意が消えてしまう。相手を説得するのは嫌いだが、共感を得ようにも、私自身の思いが希薄なんじゃないかと相手に疑われてしまうからだ。だが、どうやら問題はそこではなかった。 「あいつ」  と徹さんが怒ったような声をだした。 「君子さん、忘れてしまわはったんやろか」  と真美さんが聞いた。  私には彼らがなんの話をしているのか分からない。 「忘れるわけないやろ」 「せやんなあ」 「リク。君子はお前になんぞ言うてなかったか?」  徹さんが私を見据えて言う。 「いや……なんぞてなんです? どういう意味合いの」 「なんでこの村で撮影せいて言うたんや?」 「さあ……。私的には、おばちゃんの様子を見て来てほしい、撮影の話はそのついでで、みたいな感覚なんやろうなあて思いましたけど」 「あー」  真美さんが半分納得したような声を出した。「まあ、そらそうやろな」 「何か、問題がありました?」 「いやー、ううん、かまへんかまへん、まあ、色々あるよってな。おいおい説明したるわ。ほら、取り合えず食べよ。おかあさんも、あんたも」  真美さんに言われて、再び祖母の顔に微笑みが戻った。徹さんは相変わらずぶすっとした顔をしていたが、私に対して怒っているわけではなさそうだった。恥ずかしいとか迷惑だとか、そういった理由で映画撮影を拒んでいる様子でもないのだ。  何かがあるのだ。しかし私はその理由になにひとつ思い当たらない。  私は徹さんの表情をつぶさに観察しながら、その後は黙って昼食を食べた。    その後、寝泊りする部屋で荷物を整理していると真美さんが尋ねて来た。聞けば、祖母の家よりもさらに山を登った先にあと二世帯、人の住んでいる家があるという。歩いて十五分程の距離だそうだ。 「せっかく来たんやし、長篠の孫ですう言うて挨拶だけしとこか。あとになって誰ぞ来とったなあて嫌味言われてもかなわんしな」  田舎における、人付き合いの流儀というものがあるのだろう。 「分かりました」  私としても、この村で映画撮影をしたいと思っている以上、近隣住民への挨拶は当然やぶさかでなかった。それよりもまず、この辺り一帯に住んでいるのが祖母の家と隣の家を除いてあと二世帯しかないことの方が驚きだった。 「ほいで、言うといて悪いねんけどな」  と真美さんが顔の前で合唱する。「私このあと娘夫婦を麓のバス停まで車で迎えにいかんなんねん。とりあえずこの上の一軒だけはあんた一人で済ませといてもらわれへんやろか。お爺ちゃんが一人おるだけやねん。なんも怖いことあれへん、優しい感じの人やし」 「はあ、全然ええですよ、それは」  ついて来てほしいとも思っていなかった。 「助かるわあ、さっき私ごっつい卵抱えとったやろ。あの卵くれはった人やねん。上で養鶏したはるわ。夏目さんいうお爺ちゃん。頼むわな。道は一本しかないし、途中で右に折れて脇道入ったらすぐやし」 「はあ、でも、もう一軒は?」 「それはまた明日でもええわ。地元の人間ちゃうし、あとでやいやい言うような年でもないしな」 「へえ、お若いんですか?」 「あんたと同じくらいちゃう? いや、もっと上か、三十代くらいやろかな」 「おひとりで?」 「そやで。変な奴っちゃろ?」 「いやいやいやいや」 「ほな、ごめんやで」  パンパン、と眼前で手を叩き、真美さんはそそくさと部屋を出て行った。  しまった、手土産を忘れた。  私はそう思いながら動きやすいラフな格好に着替え、ビデオカメラとバッテリーだけをショルダーバッグに入れて家の外に出た。 「……」  ふと気になって、玄関先からぐるりと右手に回って見た。  するとやはり、ザ、ザ、と音を立てながら大きなシャベルで地面を掘っている男の姿が目に入った。徹さんではない。先ほどの昼食の席に、その男性は現れなかった。  誰だろう……?  考えた途端、首筋に鳥肌が立った。 「リクちゃん」  突然名前を呼ばれて首がすくむ。 「こっちから回って登った方が近いわ」  真美さんだった。  祖母の家と新しい住居の間の路地を指差しながら手招きし、簡単な道案内をしてくれた。 「あのー、今この家の横手で男性を見かけたんですけど、どなたですか?」 「え?」 「なんか、スコップで地面掘ってましたけど」 「……あー」  真美さんの視線が泳いだ。「あれちゃう? シギタさんやろ」 「シギタ」 「ここほら、うちの庭、何箇所か掘り返したあるやろ」 「はい」 「生ごみ堆肥なんよ。畑にまくための」 「肥料ですか」 「うん。田舎やしな、ごみの処分も再利用で有効活用せなあかんやろ。言うてまあ、おかあさんがそない言うて自分でやらんと人にやらすんよ、ここだけの話やで。面倒臭いしな。私適当にやっててん。ほないつぐらいかな、さっき言うてた若いのんがよそからやって来て山の上に住みついたんよ。なんやあ言う、なんか自分で作って、それ売って、ほいで生計立ててるらしいわ」 「作家さんなんですか?」 「そうらしいえ。そのシギタさん若いからやなあ、あないして地面掘って、生ごみ埋めてくれるんよ。結構しょっちゅう来てくれるわ。うっとこ左っぺらの庭で腐葉土も作ってるしな、体力いるんや、大っきい穴掘るの」 「でしょうねえ」 「あ、あかんわ、時間ないわ。ごめん、ほな、夏目さんとこ頼んだで」  真美さんはそう言って車に乗り込むと、ププーとクラクションを鳴らして山を下って行った。  ……やっぱり車通れるんじゃんか。  私は今朝のタクシー運転手に今更ながら舌打ちし、養鶏を営んでいるという夏目さんの家を目指した。   「だからぁ、私はお爺ちゃんと一緒がええって何度も言うてるやんか!」 「……、……」 「それはだって、今更しゃーないやんか!」  結構な大声だった。  若い女性の声である。  老人が一人で鶏を育てていると聞いて来た私は、そのあまりの剣幕に驚いて足が止まってしまった。もう目の前には夏目さん宅であろう家の屋根が見えている。その手前に、鶏舎と呼ぶのだろうか、低い屋根の建物が二棟並んで立っていた。匂いと気配で、生き物のいる建物だとすぐに分かった。声が聞えて来たのはそのうちの一棟で、入口の扉が外側に開いていた。 「あ」  そこから一人の若い女性が飛び出して来た。  女性は俯き加減に走ってくると、目の前に現れた私に驚いて「うおおああ」と悲鳴に近い声を上げた。  思わず見入ってしまう程目の大きな女性だった。しかも金髪で、それでいて地味な紺色のオーバーオールを着ていた。地元の商店で買った無名の作業服だろう。しかし左胸には後付けのブローチが光っており、美へのこだわりを感じで何故だか嬉しかった。 「え、ええ、えええ」  その女性は私の顔を穴が開く程見つめ、「……ものしり?」と半信半疑のまま首を捻った。 「はい」 「……うせやろ」 「ほんまです」 「本物?」 「本物」 「なんで?」 「……偶然?」 「山の中で?」 「ねえ」 「え、ちょ、見て! この金髪、このハイトーン、私ものしりさん見て真似したん。でも店選び失敗してごっつバシバシに痛んでもうて、根本もちょっと黒なってきてるし。でも髪の長さは同じくらいちゃう? ハーフアップ、これ、ね」  その女性の勢いに私は手を叩いて笑ってしまった。  東京にいてさえこのレベルで言い寄られることはない。ましてや地方の山の中である。私は芸能人でもない自分がここまで誰かの中に入り込んでいることを知って、心底嬉しかった。たとえ自分が制作した動画や映像先行でなくとも、興味を持って見てもらえるのはそれだけでありがたいことだった。  それに、私の大ファンだと自称する目の前の女性は、これは嫌味でもなんでもないが、本当に端正な顔立ちをしていたのだ。特筆すべきはその目だ。吸い込まれてしまいそうな、キラキラと輝くアーモンド形の美しい目だった。  その女性は名前を、夏目摩耶といった。  この地で長年養鶏場を営む夏目有三さんの、お孫さんであるという。
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