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【6】「ものしり」③
夏目摩耶との出会いは色んな意味で大きかった。
普段のテンションで話の出来る同い年の女性がこの村にいるなど思ってもみなかったし、顔を見ただけで私を『ものしり』だと認識してもらえるなんて、さらに確率は低い。その上、摩耶自身芸能界に片足を突っ込んでいる人間だった。私が手にするビデオカメラを見ても、警戒するどころか進んでレンズを覗き込んでくれた程である。
私はこの村へ来た一番の目的が一向に進展しないことに焦りを感じていたこともあって、通りがいい摩耶相手につい話し込んでしまった。この時点ではまだ夏目有三さんへの挨拶が出来ていなかったにも関わらず、鶏の鳴き声を背中に聞きながら、私たちは現実と将来についてを語り合った。
ところがある時、熱く言葉をかわす私の目付きに仕事脳からくる思惑がじわじわ滲み出していることに、勘のいい摩耶が気づいてしまった。
「なんなん、別のこと考えてる?」
初対面の私に対して不機嫌さを隠さない摩耶にそう言われて、私は今ここで正直に打ち明けるべきだと思った。
「実は今、映画制作の話をもらってて」
「え」
「まだまだ先の話やで、撮影始まってないし、誰に出てもらうかも決まってないし」
「すごいやん! どのポジションなん、やっぱり演出?」
「も込みで、一応監督」
「うっそー」
「なんか運命的な出会いやなあと思って」
「そやんなあ」
「いや、摩耶さんがやで」
「摩耶でいいよ。でもなんで? ほんまに? そんな風に思ってくれるん」
「うん、思う」
「それは私の方こそや。めっちゃ家で動画追っかけてるもん。YOUTUBEもインスタもフォローしてるし。恥ずかしげもなく同じ髪色にして」
「ころころ変えちゃうけどね」
「そやねん」
「あはは」
「笑った顔えげつないくらい可愛いで」
「いやいや、摩耶こそ。こんなん言うたらあかんけど、逸材やわ」
「え、言うて言うて、どんどん言うてや」
「でも失礼やん。上から目線で」
「上でも下でもどっからでもウェルカムやん誉め言葉なんか。でも映画監督かー、凄いなあ、同じ年でそこまで行くんや。まあ言うてもお互い別の道歩いてるしやって来た努力も全然違うから一概には言われへんけど、一言言わせて。えげつないわ」
「ありがとう」
「私も頑張らなあかんねん」
「でもそれで言うたら、今だから、そもそも私にキャスト権があればやねんけど、摩耶に出て欲しいなって思って考えとってん」
「うっそやん、宝くじレベルやん! 私あかんで、阿呆やしすぐ信じるで」
「口出し出来る隙があればやけどね、私の作る絵の中におってほしい、摩耶に」
「うーわ。目頭切開しといてよかったー。撮って撮って、もっと撮っといて」
「あははは!」
「いやもしそれ実現するんなら私ダンス留学延期するわ」
「ほんまあ、じゃあ早い段階で話進めなあかんな」
「来年?」
「せやな。今私、別の映像作品にも関わらしてもらってて。映画とネットドラマを同時に撮ってる中の、今回は私ドラマ班やねんけど、それが来週くらいにメディア発表とか取材とかもろもろあって、うん、年末くらいから企画会議重ねて、実際に人を動員して動き始めるのは来年やろうなあ。とんとん拍子に物事が決定していけば、ね」
「夢あるわあ。てことは今もう監督してるわけやん。ドラマとは言うても」
「近いことは経験出来たよ。いい作品にもなった。知らん? もうツイッターとか雑誌の広告には出てるんやけど、『丸命』っていう何年か前に賞獲った小説が原作で」
「あ、聞いたことあるわ、読んでへんけど。面白いん?」
「面白いよ。映画はその小説が原作で、ドラマはスピンオフやし正確には別物やけどね」
「へー、チェックしとく。でもそういうのってどこから話来るん? 運?」
「今回のスピンオフで言うたら私から会社にかけあってん。ほんまは映画の方に関わりたかったけどタイミング逃してさ。じゃあネットドラマどうですか、今流行りの、って。作家先生にも原案出してもらって、って。私かけ合いますよ、って、そういう企画出して全部自分から動いて」
「ファンやん」
「うん、ファン。好きやねんその先生。でもそっからよ、ほんまに」
「なるほどなあ、動くことが大事なんやなあ」
「摩耶も留学なんてすごいやん」
「留学がすごいとは思わんけど、根拠が欲しいねん。ただ好きでやってるだけじゃなくて、ダンスをこの身一つで仕事にしていくためには、目に見えて分からせるだけの努力をしとかなあかんのかなって。その、相手側にな」
「仕事を用意する相手側にね」
「うん。そらもっと若い子もどんどん出てくるし、可愛い子も多いけど、大事な部分でこいつ選んどいたら間違いないやろって思ってほしいし。そこはそれなりの事やっとかんとなって」
「めっちゃ分かる。もうめっちゃ分かる。摩耶、好き」
「せやろ。いつでも待ってるでー」
「あはは」
「でもなんでなん。なんでこんな山ん中におるん?」
「あー。だからこれもそうやねん。私この下に住んでる長篠千歳の孫なん」
「えー!」
「びっくりやろ。でな、今回私がもらったその映画の撮影地として、この辺り一帯を使わせてもらわれへんかなーって。そのお伺いを立てに来たというか。それだけじゃないけど」
摩耶の表情が一変した。
おそらくだが、摩耶は通いではあるものの夏目有三さんの家によく出入りしている。しかし私と顔を合わせたのはもちろん今回が初めてである。だから私が何も知らずにそう言ったであろうことを、彼女の方が理解してくれたのだと思う。
摩耶はどう切り出して良いのか悩む顔を見せ、やがて私から視線を外したままこう答えた。
「あー……。それはー……無理やなぁ」
「え、なんで!?」
てっきり賛同してもらえると思っていた。まさかお互いの夢を語り合った直後に、徹さんや真美さんと全く同じ表情でそれを否定されるなんて。
「なんて言うか……うちのお爺ちゃんがよく使う言葉なんやけどな」
「有三さんが」
「……しじまぎり、言うんやって」
「しじまぎり」
「静寂を、斬る、て書くらしいわ」
「……え、何が?」
「あんな……」
衝撃的な話だった。
自分で言うようなことではないと思うし、自ら進んで他人にアピールしたことは実際一度もないのだが、私には昔からほんの少しだけ霊感があった。だからこそ、摩耶の語った「人間の泣き声」という話には、一笑に付すことの出来ない気持ちの悪さがあった。これまで何度か幽霊を目撃したことはある。しかし、声を聞いたことは今まで一度もない。
だがこの村では昔から、突如静寂を斬り裂き、人間の話し声や泣き声がどこからともなく聞こえてくるのだという。
「何それ。じゃあ、エキストラには困らんな」
「……本気で言ってる?」
「ごめん、忘れて」
お茶らけた返しが出来たのは摩耶という存在が側にいてくれたおかげであり、その後、この山の中腹で隠遁生活を送っているという人物を訪ねた時も、そしてなかなかご挨拶の出来ない夏目有三さんの事を考える間も、私は風の音に乗って人の話し声が聞こえて来やしないかと怯え続けていた。
結局有三さんにはお会いできたものの、私を案内してくれた摩耶と有三さんが喧嘩の最中だったこともあり、和やかな雰囲気をひとつも感じることなく別れた。何なら、私が名乗って長篠の孫と自己紹介した時などは、有三さんのこめかみ辺りがひくひくと蠢いた程だ。ひょっとしたら長篠家とは仲が良くないのかもしれなかった。真美さんの話にしたって、あとでやかましく言われるのが嫌だから挨拶しておこう、というニュアンスだったのだ。
私は「しじま斬り」について詳しい話が聞けるのではと期待していたが、早々に立ち去るのが吉と判断して挨拶を手短に済ませた。
摩耶とは夏目有三さんの自宅前で別れた。眼下には木々の間に長篠家の屋根が見えているし、迷うような距離でもなかった。きっと摩耶はこの後また鴫田さんの住む丸太小屋に戻るのだろうし、怖いからついて来てくれと頼むのも申し訳なかった。
私は有三さんに会う前、挨拶は明日でいいと言われていた不思議な人物と先に出会っている。この付近では一番高い場所に住んでいる鴫田という名の男性で、実際の年齢は不詳だが、革細工をしながら生計を立てているらしかった。私にそれを説明した摩耶の目が熱っぽく光り、十二月だというのに彼女の頬は赤かった。なるほどと私は理解し、恐ろしい話を語っておきながら、将来の恩人になるかもしれない私を独りぼっちにする事を特別に許可した。
だが本音を言えば、私は心底怖かった。幽霊などいない、心霊現象など信じないと頭から否定出来る人間ならよかった。しかし私はそうじゃない。彼らがいることを知っている側に立つ人種なのだ。必ず聞こえる、必ずやって来ると分かっている怪現象に怯えるこの時の心境を、一体誰が共感してくれるだろうか。
私は夜が帳を落としきる前に、走って長篠家の敷地へと戻った。
「おおー、待ってたでー、遅かったやんかあ」
玄関に飛び込んだ私を真美さんが出迎えてくれた。
私は両膝に手をついて肩を上下させながら、
「はあ、すみません、遅くなりました、はあ」
と息を荒くさせて答えた。
「みんな待ってんで、はよ晩御飯食べよ」
「はい」
昼間に皆と食卓を囲んだあの居間で、私はようやく真美さんの娘さんご夫婦と顔を合わせることが出来た。襖を開けて部屋に入ったタイミングで、徹さんの隣に座っていた女性が立ち上がった。
「あらいやや、全然分かれへん。ほんまにリクちゃんなん?」
と、明るい笑顔の女性が私を見つめてそう言った。
彼女は身重だった。
「あ、あの、えーっと、物橋リクです」
私が明らかに初対面の人間相手に述べる挨拶を口にすると、
「ほらお母さん、言うた通りよ、お互いもう顔全然分からへんねん!」
とその女性は朗らかに笑った。彼女の隣では優しそうな眼鏡の男性が一緒になって笑っていた。
「いやあ、そない言うたかて会うたことはあるはずなんよ? リクちゃんもちっちゃい頃はここへ来てたんやから」
真美さんが首を傾げていう。彼女ら親子の間で、私たちがお互いの顔を忘れているであろう話でもしていたのだろう。実際その予想は当たっており、従妹同士であるにも関わらず、私はその女性の顔に見覚えがなかった。
「リクちゃん。私よ、美咲。分かる?」
「……ああー!」
名前を言われて思い出した。確かに、私より二つ年上の従妹がいた。物心がつくかつかないか、幼い子どもの頃の記憶しかないが、出っ歯で、よく私をいじめて泣かせる嫌な奴だった。しかし今はもうその面影はどこにもない。派手さは微塵にもなく、清楚で優しげな目元をしていた。見た目通り、ねじ曲がった性格も成長出来ていると良いのだが。
「思い出した、美咲ちゃんや」
「言うても私かて、リクちゃんこないなべっぴんさんやったっけ?って今記憶が曖昧やねんけど」
ねじ曲がったままかもしれない。
「まあ座り座り。はよ食べよ、鍋やで鍋。冬は鍋。お父さん新聞置いて。おかあさん一旦テレビ消そ」
大きな声で真美さんが仕切り、あたたかな湯気が立ち昇る鍋を中心にして夜の宴が始まった。大勢で一つの鍋をつつくことに慣れていないが、今だけは人の多さが安心感をもたらしてくれた。これだけがやがやと人が喋っていれば、声なんて聞こえて来るはずもない。私はことさら明るく振舞い、進んで鍋に箸を伸ばした。
「確かに、うん。それはあるよ」
「美咲さんも、聞いたんですか?」
「聞いたもなにも、もう、そういうもんやねん」
「そういう、もの……」
「なんかな、これ例えばうちの村だけやのうて、キャンプとか言って車中泊とかすることあるやん。そしたらな、広ーい森のキャンプ場で静かにしとったらさ、どっからともなく音が聞こえてきたりするねん。遠くを走ってる車の音か、森の木々がこすれ合う音か、獣の鳴き声かそれは分からへん。見えてないからね。でも音は確実にあんねん。……そういうもんなんよ、しじま斬りも」
鍋をつつきながら、誰もがお酒を飲んだ。
そしてアルコールに弱い順から潰れて行き、テーブルに突っ伏したりその場で横になるなどして眠る者が出始めた。祖母、徹さん、そして美咲さんの旦那さんである博尚さんはいびきをかいて眠ってしまった。美咲さんは妊娠中の為アルコールは舐める程度で、私はお酒が強かった。真美さんは鍋に追加する具材を取りに台所と居間を何度も往復し、手伝おうとした私を押し留めるまでして忙しく立ち働いていた。
ある時不意に昔話に花が咲き、以前美咲さんが使っていたという部屋に移動してアルバムを見せてもらうことになった。私が「しじま斬り」について質問したのも、その時だった。
美咲さんはしじま斬りについて意外な受け止め方をされており、彼女の語った「そういうもの」という考え方は、怯えきって張り詰めた私の神経を少しだけ緩めてくれた。
「ただ、嫌なんはさ」
畳の上に置いた子供時代の家族アルバムをめくりながら、美咲さんは真剣な目でそう続ける。
「なんか、声が聞えるだけならまだ私はごまかせんねん。自分を」
「はい」
「けどね、この話にはまだ奥に続きがあるん」
「続き?」
「その、泣き声な。聞いた話では、実際にこの村で死んでいった人らの声らしいんよ。それに、最近の話ではもちろんないけど、昔は生まれた子どもがかなりの確率で死んだそうなんや。病気なんか、他に理由があるのか詳しいことまでは分からん。けど、この村では昔からずっと、もう子どもは産まん方がええって言われてるくらいやねん」
「……え、だって」
美咲さんは身重である。妊娠九か月。なんならいつ生まれても不思議ではない程、彼女のお腹は膨らんでいた。
「うん。私はそういうの頭から信じ込むタイプやないけど、子どものこと言われるときつくてさ。実際うちのお母さんも、私を産んだ時は村の外に出たらしいわ。だから、妊娠分かってから楽させてもらおう思って実家に甘えてるけど、でも、うちら夫婦も臨月なったら他所に移る予定やねん。……この村で産みたくないから」
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