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授業
入学式が終わって1週間が経った。
生徒も徐々に高校生活への緊張もなくなってきていた。
そしてこの時間、2組は匠の化学の授業だった。
「原子というのは原子核とその回りの電子から成る。原子核は正の電荷を持つ陽子と電気的に中性な中性子から・・・・・・」
匠のほとんど抑揚のない声が化学室を覆う。
さすがに入学してからまだ1週間なので寝ている生徒はいないが、面白くなさそうな顔をしている生徒はちらほらいる。
この授業のやり方が面白くないのは匠にもわかっている。
しかし面白くしようとして授業にならなければ親からクレームが来る。
かといって生徒が親に「化学の先生の授業が退屈」などと言われてもクレームが来る。
何が正解なのか匠にはわからない。
自分の考えに自信を持てない。
もしも親に目をつけられたら、もしも他の教師に目をつけられたら。
そんな風に匠は思っていた。
なので匠はあいだを狙う。
授業自体は淡々とこなす。これは心を開けない匠にとってたやすい。
そして授業はプリント学習にし、そのプリントをものすごくわかりやすくする。これも心の奥底ではまだ教師という仕事を嫌いになりきれない匠にとってたやすい。
つまり、授業は面白くはないが、内容はすごくわかりやすい。
キーン。コーン。カーン。コーン。
そんな授業も終わりだ。
「今日はこれで終わりだ。各自復習をしておくように」
その声を聞くと、ほとんどの生徒が教科書やプリントを片付け始めた。
匠も授業の片付けを始める。
「あの、松雪先生?」
下を向いて片付けをしていた匠に誰かが声をかけた。
匠は片付ける手を止めて前を見た。
目の前には眼鏡をかけた女子生徒がいた。
雨宮 心春はプリントを持っていた。
「どうした、雨宮さん?」
匠の話し方はクラスの中では慣れてきている人が多く、一部の中ではクールっぽくていい、と言う意見まで出ていた。
心春も慣れているのだろう。匠のあまり感じがいいとは言えない言い方にも怖じ気づくことはなかった。
「ここなんですけど、どうしてハロゲンは1価の陰イオンになりやすいんですか?」
「それはハロゲンは最外殻電子が7つであと1つ電子を受け取れば安定になるから」
匠はプリントの該当部分を指し示しつつ、教科書も開いて教えた。
「なるほど、わかりました」
心春は笑顔で言った。
「先生ってやる気なさそうに見えますけど、授業は丁寧ですよね」
そう言うと心春は頭を下げて化学室を出て行った。
(やる気か・・・・・・)
その言葉が匠の頭の中で繰り返されていた。
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