山の家

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「村人の言ってた噂は本当だったんだ。この山には食人鬼がでるという・・・・・。」 乱れた呼吸を整えながら、男は呻く。あまりの恐怖に、その顔に熟練兵の面影はもはやなかった。 先に地下室から階段を上がり台所に戻っていたミカは、壁に靠れ座ったまま何も言わない。目は暗く生気がない。 「ひ、人をさらって食ってやがったんだ。とんでもない奴らだ!」 男は叫ぶと、銃口を僕に向けた。 「待ってよ!もう一人の仲間がじきに帰ってくるんでしょ、それを待ちましょうよ」 ミカは男を制止すると、冷たい声でそう言った。しかし僕の方を見ることは二度となかった。 誰も何も話さないまま、小屋の中で、暗い夜だけが静かに更けていった。 僕は部屋の片隅に蹲りながらママの帰りをじっと待っていた。 マ、ママが帰ってくれば真実は明らかになる。そうすれば、こいつらを追い出せる筈だ。人を食っていただって?ばかばかしい!あまりの荒唐無稽さに思わず笑いそうになる。そんなこと、この平和な日本で起こるはずないじゃないか。ここは受験生と母親が暮らす、何の変哲もない山の家なんだから。人をだますなら、もっと現実味のある作り話をしろと言いたい。 僕は2人を睨みつけ、凝視した。こんな連中に、いったいどんな正義があるというのか。あの地下室にあった頭蓋骨だって本物かどうかわからないぞ。やつらが家を乗っ取るためにあらかじめ細工して置いたのかもしれない。いままで地下室にあんなものはなかったはずだ。あんな骸骨の山を僕は以前、歴史の本で見たことがあった。1970年代のカンボジアで起きた原始共産政権による蛮行・・民主カンプチアとかポル=ポトとか言ったっけ…。しきりに革命がどうだ、戦争がどうだと言ってるんだから、やつらの仕業に間違いない。それに家に入って来た時も、やたらと室内の造りや設備に関心を持っていた・・・家や食料目当てで押し込んだ強盗くずれ達・・軍服を着て山の中で戦争ごっこしているような連中だから、とっくに頭がイカれちまってるんだろう。それならそれで、困ったことになったが・・・。 そんなことを考えていると、やがて玄関のドアが開く音が聞こえた。 ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ ズズズスズズズズ・・・・ズズズズズズズズ・・・・。 ママだ。あのすり足のような音は獲物があった時の音だ。 「ただいま、大丈夫だったかい?ドアの取っ手が壊れてしまってるけど、ぼうや、何かあったのかい」 玄関からこちらの薄明かりに照らされてママがゆっくり部屋に入ってきた。 「今日は獲物があったからね!久々の大ごちそうだよ!新鮮な生肉でシチューでも作ろうかね」 みると何かをずるずると引き摺っていた。ママに片足を持ち上げられ引き摺られているのは、まだ年の端もいかない子供だった。白眼をむき、頭をかち割られ出血している。 「動くな!」 壁の陰に身を隠していた男がママの前に立ちふさがった。 男がいるのを見て、ママは素早く肩に掛けていた猟銃を構える。それを見て男も銃を構えた。銃声が聞こえた。胸を赤く染めながらママが床に倒れた。 ママは其のまま動かなかった。 ままーーーーーーーー 僕は夢中になってママに駆け寄る。 「なんだこれ?弾が入ってないじゃないか」 男が、倒れ込んだママから猟銃を取り上げると弾倉は空だった。男はママの様子を確認した。 「こりゃだめだな、急所だ。でも、初めに銃を構えたのはそっちだからな、悪く思うなよ」 男は屈みこんで、斃れ込んだママの銃創の様子を確認しようとした。 その瞬間、ママは懐から腕を出すと男の脇腹を突き刺した。手に握られたのは狩猟用の長ナイフだ。男は驚いた顔で中座のままよろめくとその場に倒れる。 「いやあああああああ」 ダダダダダァー ミカが悲鳴をあげて銃を発射した。 乱れた銃の弾道が木の床と壁に穴をあける。そのうちの何発かがママの足に当たった。 「よ、よせ、ミカ・・大丈夫だ・・」 男は倒れ込んだまま、ミカの銃撃を制止する。ミカはそのまま銃を捨てると男に駆け寄った。男の脇腹からは大量の血が流れている。 「おれで・・御相子だよ。・・・弾なんか・・とうの昔・尽きてしまったよ・・そんなものあれば・・・こんな子供には手を出さないよ・・」 苦しそうにそう言うと、ママは動かなくなった。 僕はママの体をさすりながら聞く。 「ママ、・・・どうして、こんなことしたの?」 ママは言った。 「だって仕方がないじゃないか・・・木の実やドングリだけじゃもう持たないんだよ・・・・町から持ってきた備蓄品も・・・もう・・尽きてしまったからね。・・・でも・・・・お前が・・肉が食べたい・・・肉が食べたい・・・・って毎日言うから。・・・もう・・・どうしょうもなかったんだよ・・・」 ゼイゼイ言いながらママが言った。僕はハンカチで必死に朱色に染まりつづけるママの胸元を抑えたが効果はなかった。 「・・・それで子供を・・・狙ったのか」 ミカに介抱され半身を起こしながら男が言った。男も出血が止まらない。ミカは衛生袋から包帯を何枚も出して応急手当をしている。 「最初は・・・シカやイノシシ・・・・を狩ってたよ・・・・でも・・・弾が尽きてからは・・・・このあたりを通る・・・・・避難民を・・猟銃で・脅して・・・ナイフで・・・・でも最近は、年とって・・・・・・・それも・・できなくなって・・・こどもを・・・・・」 ママの呼吸が荒くなってきた。話すのも苦しそうだ。 「ママなんてことしたの!僕はそんなことしてまでお肉を食べたくなかったのに!」 「そんな・・・悲しいこと、言わないでおくれよ・・ぼうや・・・みんな・・・お前のためじゃないか・・・・。戦争がはじまっても・・・お前は・他の若者たちみたいに・・・革命に参加するって・・・親元を離れなかったじゃないか・・・ずっとママのそばにいて・くれるって・言ってくれたじゃ・・・ないか・・・・・・ママは・・うれしかったよ・・・・」 そう言って僕に手を伸ばすと、そのままママは本当に動かなくなった。 「死んだわ」 ミカはママの脈を確認して言った。 「でも、悪く思わないでね。私たちが来なくても早晩、反革命軍にやられていたでしょうから。聞こえるでしょ、高射砲の音がだんだん近づいてくるのが。まもなく、この辺りにも攻勢がくるわ」 もうほとんど動かなくなった男の体を抱きかかえながらミカは言った。 「あなたのママ、昔、軍にいたようね。彼の肝臓をまっすぐ狙って刺してるわ」 「か、彼は大丈夫?もう遅いし暗いから、朝までここで治療していってもいいんだよ」 僕はミカに言った。 「いいえ、わたしはもうこの家にはいたくないわ。」 首を横にふり冷たい瞳でそう云うと、ミカは玄関から出て行こうとした。 「ミカ!僕も戦うよ。武器の使い方を教えて。キミらのような立派な戦士になって一緒に戦いたい」 僕の言葉に、ミカは顔を引きつらせると冷静な声で言った。 「ありがとう同志。でも残念だけど、あなたの歳じゃもう戦闘は無理ね。」 その言葉に何かをあばかれたような不安を覚え、僕は真っ暗闇の窓ガラスに映る自分の顔を見た。 そこには白髪で頬のやせこけた貧相な男の姿があった。歳はとっくに50歳を過ぎているだろう、不気味なほどやせ細り、足にも腕にも筋肉はない。無表情のギョロ目でおどおど鏡を覗きこんでいる猫背の年老いた男。 これが自分の姿か。 「あなた、お母さんがかわいそうよ。どうみても 70を越えてたでしょ・・・こんな歳まであなたは食事の世話をさせて・・罪が深いと思うわ。」 ミカは憐れむように言った。 「ねぇ、僕も連れてって・・頼むよ。ひとりにしないで・・。」 僕の必死の懇願に、ミカは首を振った。 「彼は私の夫なの。だから、あなたは一緒に行けないわ。わたしはあなたを可哀そうな人だと思う。……あなたのような人が、本当の戦争の犠牲者なのかもしれないわね」 そう言うと、男をだき抱えながらミカはふらふらと夜の闇に消えていった。 再び家は静寂に包まれた。 そして、家には僕だけが残った。 ママとこどもの死体を台所の隅に片付けると、僕は部屋に戻りドアを閉めて見えないようにした。 そしていつもの、おまじないの言葉を目を閉じて唱えた。 「見ないものは存在しない。見えないものは存在しない。」 ハッ!なにをしてたんだ僕は、こんなことしてる場合じゃないぞ!もう受験まで時間がないんだから・・・ そう言って気を引き締めると、僕は机に向かい英語の本を開いた。 The wise man, though he will not sit down under preventable misfortunes, will not waste time and emotion upon such as are unavoidable, and even such as are in themselves avoidable he will submit to if the time and labour ・・・   英語の原文が目に飛び込んでくる。前にも見たお馴染みのフレーズだ。たしか、バートランド・ラッセルの文の一節だ。  自分のまんざらでもない勉強量に気付くと、僕は思わずニヤリとした。前もこんな覚えがあった。まったく同じことを考えた気がする。 『'賢い人間'は防げる不幸を座視することはしないが、避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう・・・・』 英語の訳をノートに記してから僕は思った。 なんだこれ?僕を馬鹿にしてるのか!この日本語の意味する内容が僕にはまるで解らない。 その瞬間、ひときわ大きな雷鳴が響くと、家が大きく揺れ電気が消えた。 近くに落ちたらしい、停電だ。 「もう駄目だ・・」 暗闇の中で僕は呟いた。 (村田基 作品(1989) 改題)            《終わり》
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