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プロローグ
人間たちはこの街のことをこぞって「伊達政宗公のお膝元」だとか「東北一の繁華街」だとか「杜の都」などと好き勝手に呼んでいる。
けれども人間でない者たちから言わせれば、この街の本質も歴史も知らずに付けられた、全く持って滑稽な名前であると言えるだろう。
そこまで豪語する人ならざる小生が人の言葉を捩り、この街を真に名付けるのであれば――
『こりてんみょうの都』
と称するのが一番ではあるまいか。
◇
何につけても起源と歴史があるように、この宮城県は仙台という街にもそれらがある。
いざ辿ってみれば、かの関ヶ原の合戦の頃まで遡る。
今でも馬鹿の一つ覚えのように崇め奉られ語られるかの戦国武将、伊達政宗公が青葉山に城を築きあげた後、それまで千代と呼ばれていた地を仙臺と改め、城下町を開いたのがこの都市の始まりだという。
以来四百余年、人が変わり文化が変わり景観が変わり、それでも変わらぬものが有るとか無いとか言いながら時が流れた。
そして何につけても表があれば裏があるように、この仙台という街にもそれらがある。
表というのが所謂ところの人間社会であれば、裏に当たるのが我々化獣の社会であろう。
化獣とは、書いて字の如く変化の術を会得して、己が姿を変えたり幻を見せる奇怪な力を持つ獣の事である。広く使われている言葉で、妖怪変化と言った方が人間には手っ取り早いかも知れない。
人に気取られぬよう、ひっそりと慎ましく――とは言えぬ、真逆の生活をしているのだが、それでも大っぴらにして生きている訳ではない。
やはり人間とは一線を引くというのは化獣の共通認識である。掟や法を重んじ、それを破れば罰せられるのは人間にのみにおいて言えることではないのだ。
そして例によって何につけても派閥や群れが出来るように、この仙台と言う街にもそれらがある。
しかし人間の話ではない。人の仲間意識や縄張りなど、人でない者にとっては痛くも痒くもなんともない。派閥というのは勿論、我ら化獣の話として語っている訳だ。
古来より四足の獣は、その大多数が化ける能力を持つことが極めて多い。大体が年月やもしくは、死後に力に開花することもある。
そしてその中でも、化けることに関して抜きん出てきた動物達がいる。
「狐」「狸」「貂」「猫」
並べ繋げて読んで、すなわち「狐狸貂猫」。
この四獣こそが化獣界の傑物であり、この陸奥の国、仙台における裏社会を作っている立役者なのだ。
いや、少し語弊がある。
確かに化けることに抜きん出ていることは認めよう。だがそれはその他大多数の獣と比べれば…という話だ。狐も狸も猫も、所詮は化けられるから偉そうにのさばっているだけに過ぎない。
そう―――。
貂こそが狐狸貂猫の頂点であり、延いては化獣の頂点たる獣なのだ。
いやいや、さらに語弊がある。
貂だからといって皆が皆、化けることに駕しているとは限らない。大方が一匹では何もできないような、取るに足らない奴等ばかりだ。
こう慢じている小生は勿論、貂として生まれ落ちた貂の一匹。されどもその他大勢の一族と一括りにされるのは甚だ腹立たしい。
自分でいうのは何だが、自分しか言う者がいないので致し方ない。
これは一匹の才能溢れる貂の物語。
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