酔狂

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酔狂

 その後しばらくして、空模様は海潮の顔と同じように曇って行った。幸いにして雨は降らなかったので、小生としては日差しが弱まってくれただけで万々歳だった。  気落ちはしていたがその手の本に対しては手抜きしない程の愛書家であるため、本来の目的は恙なく達していた。  階縁堂(かいえんどう)という古本屋では、当人の思っていたよりも掘り出し物があったようだった。そこからは多少浮かれていたものの、大学の図書館につくと姫の事でも思い出したのか、再び何となく萎んでいた。  けれども小生は結局、借りた買ったを合わせて、脇に十六冊の本の束を抱えていた。荷物持ちは少々癪ではあったが、約束通り一食を奢って貰ったので、その恩義としておいた。  毎週々々、海潮はこのようなペースで本を手に入れるのだが、この男は速読が出来るらしく持て余すことは滅多にない。また必要な事を書き起こすと、別に売り払う事も厭わないそうなので、買う本がそのまま売る本になってしまう。とはいっても元値で売れる訳ではないから、補填をしなければならない。海潮が南瓜ばかり食うのは、単に好物と言うだけでなく本を買う為に節約しているのだ。  そして、このおっちょこちょいは自分の興味のあることにしか興味がなく本自体には無頓着という阿呆だ。早い話が表紙ではなく内容を見て買うので売り払ったのと同じ本をまた買ってしまう事がある間抜けなのである。  遅い昼食か早めの夕食かは分からないが、それは「北京餃子」で食べることとなった。「北京餃子」とは、広瀬通りの地下に在する学都仙台が誇る定食屋である。苦学生の為と言って過言ではない程、値段に対しての量が凄まじい。当然味も良いというのは言わずもがなである。  先に言った通りの時間だったので、客はまばらだった。  海潮は適当に野菜炒め定食を頼み、小生は遠慮なく一キロ炒飯を注文した。 「邪魔者有りきとはいえ、風梨さんと出かけられるチャンスだったのになあ…」  粗方食い終わると、ぼそりとそんな事を呟いた。 「その邪魔者ってのは、俺の事じゃないだろうな」 「他に誰がいるんだよ」 「分かってないね。わざわざカササギの役を買って出てやったのに」 「お前がか」  カササギとは七夕伝説に登場する鳥の名である。  天帝の許しを得た彦星と織姫が年に一度だけ相見える時、どこからともなくやってきては、その二人を隔てる天の川に身を挺して橋を架ける役目を担う。 「そうだよ。ちょいとした合間に悪態をつける俺がいなかったら、どうなっていたと思う?」 「それは、まあ」 「終始どもって会話にもならない会話をした挙句、緊張で固まって残りの時間は無言のデートだろう」 「そんな事は…ない…とは強くは言えないが」  その様が自身でも容易に想像できたのか、言葉尻はどんどん小さくなっていった。尤もカササギは日本在来の生物ではないという説もあるので、本邦でのご利益のほどはよく分からないが。 「さっさと告白しちまえばいいじゃないか」  小生は、頭の中身をそのまま口から出す。 「簡単に言ってくれるな。どうせフられるのがオチだよ」 「そんな事はないと思うけどな。姫は脈ありだよ、きっと」  二人の胸の内は黙っている。嘘はない。  しかし背中を押したり、発破をかけたり止めを刺したりしないという約束はしていない。  正直な話、小生は二人の仲を応援しているつもりだ。海潮を焚き付けるのはこれが初めてではないし、姫だって海潮に劣らぬくらいのことを言っている。  だが、こちらの親心など露知らず海潮はため息を一つ零した。 「そうだったらいいなと思ってばかりさ。俺じゃあきっと駄目だ」  あまりにもいつも通りの言葉だったので、小生も負けじとため息が出た。 「…何でそう思うんだよ」 「そりゃあお前、見た目とか趣味とかファッションとか、全部駄目だし」 「駄目だと思ってる奴をデートには誘わんだろう、普通」 「俺だって、そんな下心が無い訳じゃないけど…風梨さんは優しいからなあ」  白昼に淡い夢を見たせいか、普段のそれ以上に手応えがなかった。禅問答のような苦行を延々と続ける気もないので、今日のところは大人しく引き下がることにした。 「それじゃあ、ご馳走様」 「どこに行く?」  うな垂れたその様子からは想像できないほど俊敏に腕をつかまれた。 「飯もご馳走になったし、帰ろうかなと」 「まあそう言うわず、もう少し付き合えよ」  ◇◇◇ 「重い」  小生は本日三度目となる、竜雲院前の通りを歩いていた。両手には愚痴の一つも零したくなるほどの荷物を持っている。  子平町の街並みは少々古めかしく、特に海潮のアパートの周囲は件の寺院を含め寺が多い。なので、当然ながら墓地もそれ準じて至る所で目に付く。ようやく日が傾いた薄暮の陽光とこの辺りの風景とが折り重なって、今の情景は逢魔ヶ時と呼ぶに相応しいものとなっている。 「もう少しだ。頑張れ」  やっとの思いで海潮のアパートに辿り着く。この部屋で一食奢るという甘言に唆された数時間前の自分を恨む。 「ったく。何が楽しいんだ、こんな本」 「粗野に扱うなよ」  それは心得ている。  本に関して怒る海潮は本当に怖い事は過去に一度体験済みだ。その癖、小生の想像する愛書家のように蔵書することは稀なのが面白い。 「祭りやら伝統やら、神仏精霊と、よくも飽きないねえ」 「日本の芸事ってのは、そういう所が起源で出来てきたんだよ。大体その似た様なものだろう? 妖怪本人が何言ってる」  持ってきてくれた労いの麦茶を遠慮なく頂く。 「妖怪なのに本人ってのは奇妙だな」  そう言うと海潮と共に笑いあった。  小生はそれから暫くのんびりを決め込んでいたが、海潮は部屋着用の浴衣に着替え終わると、のそのそと本の仕分けをしたり売るための本を縛ったりしていた。読み終わった本は、ある程度まとめて売った方が僅かだが高値で買い取ってくれると知ってからはそのようにしている。更に類は友を呼ぶと言うか、物は欲する人を知るというか、周りの人間がいらない本を海潮に無料で譲ることも多いのでその分別もしている。そちらも手伝えと言わずほっとしていた。 「よし。一先ずこのくらいでいいか。続きは明日やろう」 「何でこっちを見るんだよ。明日は来ないからな」 「ああ、来なくていい。今日は泊まっていくだろ?」  そういって一升瓶を出してきた。  少々迷ったが、小生は返事とばかりに用意されていた猪口を手に取った。  まだ知り合って一年足らずの仲ではあるが、小生は海潮と濃い付き合いをしている。という事はつまり、海潮も小生と濃い付き合いとしているという事だった。  それからしばらくは他愛もない話と、「南瓜種素揚げなんきんたねすあげ」をつまみに酒を飲み交わした。  この「南瓜種素揚げ」とは読んで字の如く、南瓜の種を天日に干して、中身の仁を取り出して素揚げにしたものだ。軽く塩を振って食べるのだが、これが美味い。南瓜男ならではのアイデア料理だとしみじみ思う。  不意に窓から入る夜風の涼しいのに気がついた。 「夜になると涼しいな。墓場の隣だからかな」  ガラリと網戸を開けると、その向こうには竜雲院の墓場が見えた。 「関係あるのか?」 「そりゃあ陰気の代表みたいな場所だし、見た目が涼しいし、墓石は冷たいから上で寝るには丁度いいし、お供え物があるから食うには困らないし言う事ないな」 「罰当たりや奴だな」  勝手に褒められたことにして、 「へへへ」と笑っておいた。  酒で火照っていた体が急に冷えたもので、一つくしゃみが出た。その時にふと、海潮の読んでいた本が目に入った。 「『仙台の祭り』ねぇ。そう言えばそろそろ七夕の時期か」 「そうだな。買い物に行った時もそんな雰囲気があったしな」  確かに昼間、仙台の街中へ買い物に行った際も至る店でミニチュアの七夕飾りを店内にぶら下げており、アーケードは七夕を待ち遠しにしている様であった。 「…七夕か」  七夕と言う言葉に小生には僅かながら思うところがあり、ついボソリと呟いてしまった。 「どうかしたのか?」 「いや、何でもねえ」  海潮は不思議に思ったようだが、特に何を言うでもなく、酒で飲みこんでいた。 「他に食うものないのかよ」 「南瓜しかないよ。知ってんだろ」 「この前食べたバター溶かしたやつないの? アレが美味い」 「はいはい」  何だかんだで面倒見が良い所が、やはり良い奴だと思う。  台所へ料理を取りに行っている隙に、ささやかなお礼のつもりで海潮の想い人の瓜二つに化けてやった。 昼間は小生が見ていても若干可哀相であったし、偽物とは言え共に酒を飲むくらいの役得があっても良かろう――と言うのが建前で、本当はただ単に驚かしてやりたいと思ったまでだ。 「こんばんは」 「どわっ?!」  海潮は尻餅をつくほど驚いたが、皿を落とさなかったのは偉い。その代わり浴衣の裾が割れて、別段見たくもないモノが丸出しだった。 「何てね」  声だけ自前のそれに戻し、軽いネタ晴らしをした。 「心臓に悪い」 「せめて雰囲気だけでも、姫と呑んでいる風にしてやろうと思ったんだけどな」 「余計な気を回すなよ」 「だったら、戻った方がいいかな?」  姫の声に再び戻して、昼間見ていた微笑みを完全に模写して見せる。 「…酔ったついでだ、そのまんまでいいよ」 「ししし」  小生は笑った。  姫の姿で酒を飲んでいると一つ思い出した。  姫の器量気立てが良いのは認めるが、そのせいか自前の趣味が当人に似合っていないものが多い。  バイクも小さいモノならまだいいが、体躯が華奢なので、今乗っている単車などは見るからにミスマッチだ。そして、それは酒にも同じことが言える。  姫はあれで一般的なカクテルのような甘い酒を好まない。専ら飲むのはスピリッツである。あの見た目ならそれこそ酒が飲めないと言った方が、好感度が上がりそうなものが、そんな言葉で止まる酒飲みなど居やしない。  姫が秘密にしておいてと言われた恋の事情も、ひょんな事で飲みに付き合った際、酔いに任せてポロリと漏らしたのを黙っていてくれと言ったのが始まりだ。  そしてこの眼前の男も、泥酔した挙句に小生に恋心をぶちまけてきたのだ。尤もこの男のソレは言われるまでもなく察していたのだが。  そう考えると、改めて似た者同士でお似合いな二人だと個人的には思う。  すると海潮はこちらの胸中など毛ほども知らず、暢気なままに、 「酒が回ってるってのもあるが、本物そっくりだな」などと言ってきた。 「当たり前だ。俺の化け術は狐狸貂猫の中でも随一だからな」 「みんなこんな器用に化けられるものなのか」  小生にしてみれば待ち待ったような質問だったので、姫の姿であるのも忘れて思わず立ち上がった。 「よくぞ聞いてくれた! 化ける獣は数あれど、その際たる四獣の中でも一番の化け方と言われているのが、この俺だ」  少々足元がふら付き、小生も大分酔いが回ってきているなと自覚する。 「狐と狸と猫と、鼬だっけか?」 「貂だよ、貂。二度と間違えるな」 「悪い悪い」  悪びれる様子は皆無なのはニヤケ顔で分かった。海潮は酔いが回ると微妙に嗜虐的になるきらいがある。しかし、本人の性質からすると小生に対してだけのものかも知れない。 「よし折角だ。酒の肴に俺がどれだけ優れた貂であるか説明してやろう」 「おお、いいねえ」 「まず、知っておいてほしいのは、狐狸貂猫にもそれぞれ、得手不得手があるんだよ」 「得手不得手?」 「そう。狐は無機物や物に化けるのが得意、狸は動植物、猫は自分が化けるよりも幻覚を使って周りの風景毎化かすのが得意って具合だな」 「ふうん。動物によって出来ることが違うんだな、知らなかった」  癖は抜けないのか、海潮は興味深そうにノートにメモを取っていた。 「ま、系統として得意ってことだな。別に狐が他の動植物に化けられないって訳じゃない。他もまた然りだ。実際に年季の入った年寄りなんかは全部上手い奴もいるし」 「で、貂はどういうのが得意なんだ?」  小生は不敵に笑った。 「ふふふ。貂族は今言った全ての化け術が使える。得手不得手なんてものはあってないようなもんさ」 「なんだそりゃ。チートかよ」 「『狐七化け、狸の八化け、貂の九化けあな恐ろしや』って言葉を知らんのかいな」 「聞いたことない」 「要するに、貂族は狐や狸より化けるのが上手いんだよ」 「へえ。すごいな弱点なしか」 「いや。それがそうでもない」  海潮は首を傾げた。 「貂族にも致命的な弱点が一つある」 「それは何だい? あ、人間には教えられんか」 「いや、構わないよ」 「軽いな」 「今時の人間なんて、そもそも獣が化けるという事を信じてすらいないじゃないか」  これは現代の化獣社会で少々問題視されている事実である。それが化けやすいと喜ぶ連中もいるし、取り合ってもらえないから化かし甲斐がないと文句を言う輩もいる。 「まあそうだが。で、弱点てのは?」 「そいつは単純明快。貂は一匹だけじゃ化けられない」 「一匹だけで化けられない?」  またしてもよく分からないという風に首を傾げてきた。 「そう。最低でも二匹が一緒になって化け術を使わないといけない。その変わり、他の化獣が出来ることは大抵こなせる」 「ほほう。面白い話だな……でもお前は一匹だけで化けてるじゃないか」  多少呂律が回っていなくても、頭はまだ回る様だ。良い所に気が付く。 「ふふふ。そこが俺の天才たる所以さ」  小生はここぞとばかりに見得を切った。姫の格好のままなのは、既に忘れていた。 「他の貂と違って、俺は誰の助けもいらずに一匹だけで化け術が使える。勿論、得手不得手なんてのはない」 「ほほう。すごいじゃないか」 「ようやく分かったか」  そう言うと、海潮はまたしても嗜虐的に笑みを浮かべた。 「くくく。俺がすごいと言ったのは、そんな天才を撥ねた車の運転手のことだよ」 「…くそ、もう忘れろよ」  ここに来て揶揄われるとは思っていなかったので、小生は苦虫を噛み潰した様な顔をした。  海潮と小生との出会いは今思い出しても甚だ不愉快だ。  小生は、ひょんな事から一匹だけでこの界隈をうろついていた時に、つい油断して自動車に撥ねられた。その時に小生を助け、わざわざ動物病院にまで連れて行ってくれた上、その後も小生を引き取って介抱してくれたのが海潮だったのだ。 「あんな衝撃的な出合い方を忘れる訳がないだろう。尤も、お前を連れ帰った後の方が驚いたけど。何であの時人に化けたんだ?」  何故で引き取られてきた後、海潮の部屋で人間に化けたのか。  正直自分でもよく覚えてはいない。 「さあね、悪戯心が芽生えたんだろう」 「適当な奴だな」  言うと、海潮は大欠伸をした。時計を見れば、いつの間にか日を跨いでいる。 「そろそろ寝るか」 「だな」  諸々を手際よく片付けると、海潮は布団を敷いた。この姿のまま添い寝してやろうかと提案したら、拳骨で殴られた。  小生は寝床用にクッションを一つ拝借した。元の貂の姿に戻れば、これ一枚で事足りる。  部屋の電気が消え、今の時分に相応しい静けさとなった。海潮の寝息が聞こえるのが先か、小生が寝息を届けるのが先か――と思っていたら海潮が言の葉を送ってきた。 「なあ…」 「…何だよ」 「家族の所には帰らないのか?」 「…」 「まあ帰り辛いよな」 「…」  返事をしないのか、それともできないのかが分からなかった。 「寝たのか?」 「ああ、寝てる」 「じゃあ仕方ないか。俺も寝よう」  海潮はすぐに眠ってしまった。  小生は最後の最後で思い出したくないことを思い出し、すっかり目が冴えてしまった。何度か寝相を変えてみたが駄目だった。仕方なくこっそりとクッションを台所に移し、もう一杯だけ寝酒を呷ることにした。  それが利いたのかどうか、小生はようやく眠りにつくことが出来た。けれども、どうしてか姫と昔に交わした約束の時の事が頭をちらついた。ひょっとしたら、隣の部屋で鼾をかいている海潮に対して口を噤んでいる秘密がある罪悪感が、自分でも気づかない程に小さく芽生えていたのかもしれない。  別に隠しておくほど仰々しいことではないのだから、その胸の想いと一緒に告白してしまえばいいのだ。  その日、小生は夢を見た。  いや、見せられたのかも知れない。  誰にと問われれば答えるのが難しいが、強いて言うならば小生のご先祖様になるのだろうか。  それは遠い昔の狐狸貂猫の事、そしてどうしてか姫が周囲の人間に秘密にしている風梨家の昔話であった。
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