遺書

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 お母さん。  覚えておられますか。  あなたが、私に 『話をすること』 を禁じた日を。  あの日、五歳の私は用事をするあなたにまとわりつくようにして、お喋りをしていました。  すると、あなたはこう言ったのでしたね。 「自分の話ばかりすると、ひとに嫌われるよ」  それなら、と友達の話をしようとすると、今度は 『他人の話ばかりすると、ひとに嫌われるよ』 。  それから 『そんなことを言うと、ひとに嫌われるよ』 も、常に言われていましたね。    私はその時、よほど悪いことを言ったのでしょうか?  何度となく考えてみましたが、さっぱり思い出せません。  ともかくも、何が悪かったかもよく分からないままに、私には 『何かを喋ると人に嫌われる』 という恐怖だけが植え付けられました。  そして同時に、 『ひと』 が嫌いになりました。  理由も分からないのに自分のことを嫌ってくる相手を好きになるのは、ファンタジーならともかく、現実では至難の技ですから。  もっとも、あの時のあなたはきっと、とても忙がしかったのでしょう。幼い娘の話など、聞くのが苦痛であるほどに。  それに 『人に嫌われる』 は、よく親が子に教える時の常套句でもありますから、あなたにばかり非があるとは言えません。  けれどもそのおかげで、私は今でも 『お前は無意味・無価値な存在だ』 『お前は誰からも嫌われる』 という二つの声に、常に悩まされています。  何かをする時にはまず、その声に一生懸命、反論をし捩じ伏せなければならない。そして、何をしていても、その二つは常に聞こえてくるのです。  おかげで、私は学校では、『思慮深く謙虚な優等生』 という評価を得ているようですが…… その評価が嬉しいのはお母さん、あなたであって、私ではありません。  私は、そんな風に誉められなくても良いから、嫌なことは何も考えずに人と楽しんだり、笑ったりできる人間になりたかった。  なぜ、皆と一緒に楽しみたい時に、心の声に 『お前みたいなつまらない者が調子に乗って』 と、言われなければならないのでしょう。  なぜ、心の声は、困っている同級生に声をかけようとするだけで 『お前が何を言っても無価値だ』 『お前みたいな者、気味悪がられるだけだ』 と、言ってくるのでしょう。  お母さん、あなたのせいだとは言いたくはないのです。  謝って欲しいわけでも、ないのです。  ただ、『あれは言い間違えただけだ』 と言ってくれれば、それだけで、私はずいぶん楽になったと思うのです…… 今更もう、遅いですけど。
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