15人が本棚に入れています
本棚に追加
お母さん。
五歳の頃のエピソードを聞いても、あなたはきっと 『そんな昔のことをいつまでも』 とでも思われたでしょうね。
あの頃、そうして話さなくなった私に、あなたは色々な話をしてくれました。
自分がいかに気の利く良い子だったか。いかに親に無視されて育ったか。周囲の人がどうフォローしてくれたか。友達が誰で、どんな遊びをしたか。従姉妹とどんな会話をしたか。大人になった自分が、どれほど優秀で周囲の人に慕われたか。結婚した後、夫が自分にどれほど冷たい仕打ちをしたか。今自分が、どれほど死にたいか。
私には話すべきことも話したいことも全く無かったのですが、あなたの話はよく覚えていますよ。
小学生で父方の祖父の介護をして、鶏を飼って卵をとり、お粥を作って食べさせたとか、母方の実家はやんごとなき家系で祖父がとても可愛がってくれたとか、あなたが母に 「星がきれいね」 と話しかけたら 「そんなものより飴玉の方が良い」 と言われてショックを受けた話とか。
そしてあなたは、何か事件が起こる度に 「被害者の代わりに死んであげたい」 と言いました。
まとめて要約すれば、私といる今が、あなたは一番不幸なのだ、というお話だったのですよね。
あなたはそうやって、私が幼い頃からこれまでずっと、私のせいであなたが不幸なのだと繰り返し聞かせ続けてくれました。
そうですね、そのほかにも、あなたが私に掛け続けた呪いは色々ありますが…… 誉めてくれたことが一度もない、とか、全国一番をとったテストでも百点でないから怒られた…… なんていうのは、あなたが私に何度も何度も同じ話をすることで与え続けてきた無力感と比べれば、大したことはありません。
そうそう、『男は皆、狼だ』 なんて教え込む一方で、八歳の子供に向かって 『する時には避妊しなさいよ』 などと忠告するのは、どう考えても、あなたの頭がおかしかったとは思います。なんだか気持ちも随分、傷つきまきましたし。
私はあなたの思惑通りに男性恐怖症に育って、男の人が近くにいるだけでも怖くて仕方なかったのですが…… まぁそれも、どうでもいい話です。
ただ問題だったのは、あなたはそうやって、私をお人形さんのように可愛がって、一生懸命に理想通りになるよう育ててくれたけれど…… その中で、私の心は死んでしまって、何も考えず何も感じなくなっている、ということなんです。
なので、お母さん。
私の死を悲しまないでください。
死んだ心のままで生き続けなければならないとしたら、そちらの方が重く、辛いことですので。
私はこれから死にますが、私は物心ついて以来、初めてと言っていい程に、嬉しいです。
やっと自由になれる。やっと、あなたから逃れられる。
どうか、お母さん。
あなたも、私のために喜んでください。
もしもあなたが、大切なお人形が壊れて無くなってしまったことを嘆き悲しんだとしても、そんなの私の知ったことではありませんから。
それでは、お母さん。
私からあなたへ、永遠に、さようなら。
最初のコメントを投稿しよう!