空の色、海の色

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空の色、海の色

「わぁ、キレイ。あれが白浜ですか?」 気づくと、宮下が助手席で目を覚ましていた。 眼下には弓なりになった白い砂浜と、その向こうに緑に覆われた半島が紺碧の海に突き出している。イルカの頭のカタチをした半島の深い緑の中には、観光ホテルであろう、ひと際目立つ大きな白い建物が、昇り始めた朝陽を受けてピンク色に染まっている。 カーナビで確認をすると、目的地である白浜海水浴場は、その半島よりも更に先にあるようだった。 「もう少し先みたいだね」 道路脇に等間隔で植えられたヤシの木が、南国に来たという気分を盛り上げると同時に、白浜海水浴場のすぐ近くまで来ていることを告げている。 「知っていました? 海の水って、本当は青くないんですって」 まだ少し眠そうにしている宮下が、窓の外を流れる景色を眺めながら、そう訊いてきた。 改めて訊かれてみると、知っているようでいて知らない話しだ。 「確かに、手で掬うと透明だよね」 「ですよね」 「あれかな? コーラ瓶は緑だけど、割れた破片は透明に見えるってやつ」 つまり色の薄いものが集まると、濃く見えるという。 「ありそうですよね。でも、わたしが聞いた話しは少し違いました」 確かにそれだと、幾らかであれ海水自体が青くなくてはならない。 「それじゃあ、朝焼けや夕焼けの理屈と一緒かな?」 地球の大気圏に対する太陽光の入射角度によって、空が青く見えたり、赤やオレンジに見えるという。小学校の理科の実験でプリズムの分光を学んだときに、その話しを聞かされた記憶がある。 「それもちょっと違います。確かに赤い光は海水に吸収されて、海が青く見えるとは言ってましたけど」 言われてみれば、太陽の角度で赤くなったり、オレンジ色になる海水なんて聞いたことが無い。 「空の色が映っているんですって」 「本当に?」 「だって南の国で空がキレイなところは、海も青くてキレイじゃないですか」 何処かで論法が破綻している気もするが、宮下が言うとそんな荒唐無稽な話しも、もっともらしく聞こえるから不思議だ。 どうせ何処かの気障な男が宮下を口説くのに、 「君の心が清くて美しいから、一緒にいる僕まで優しい気持ちになれるんだよ」的な比喩に使ったのだろう。そして宮下はそれを「素敵」と言って憚らない、まさに「清く美しい心」の持ち主だ。 生田も一度でいいから、そんなセリフで女性を口説いてみたかった。しかしセリフも吐く相手を選ぶのだ。生田が同じセリフを口にしたところで、相手に気持ち悪がられるだけなのは火を見るよりも明らかで、生田はなんとなく宮下に鏡を突き付けられたような気分になった。 「キレイな海ですねぇ」 眼下には、まだ浅い眠りの中にいる海が、泰然と横たわっている。 ふと見上げると、空はすでに夜の色を潜め、澄んだ空気が新しい一日の始まりの気配を孕んでいる。 水平線には、今まさに昇ろうとしている太陽が、空と海の境界線を真っ赤に染めている。 「今日は暑くなりそうですね」 夜に取り残された小さな白い雲を見つめながら、宮下が独り言のように呟いた。 白浜海水浴場に近くなると、道が一気に渋滞し始めた。 先ほどまで鬱蒼とした樹々の生い茂る山道と、寂びれた漁村の繰り返しだった景色が一変して、まるで渋谷の街のような喧噪が現れた。 沿道はまだ夜も明けきらないというのに、大勢の若者たちで溢れかえっていて、道路脇に停車している改造車からは、単調で軽薄な音楽が大音量で流れている。その様子はさながら深夜の都会のクラブのようで、だから遠く沖の水平線で空を染める朝焼けが、生田の目には、まるで待ち侘びた夜の訪れを告げる夕焼けのように見えた。 沿道の喧騒を横目に、尚もクルマを進めると、国道を挟んでビーチの向かいにあるコンビニの裏手に市営駐車場を見つけた。早朝にも拘らず、入口では地元の有志だろう、老人が二人で駐車料金の徴収、それに駐車場内の整理と車両誘導をしていて、生田たちのクルマは海側の一番奥の列に通された。 クルマを停めると、生田と宮下は長旅の疲れが一気に出たのだろう、そのまま深い眠りに就いた。
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