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その岩の上に立つと、遠く水平線の先に伊豆七島の島々が薄っすらと蜃気楼のように浮かんで見えた。
遠くに目を遣ると、宮下とふたりで歩いてきた白浜海水浴場の白い砂浜が一望出来た。
足元ではサーファーたちが井の頭公園の鴨のように、一列に浮かんで波待ちをしている。
「気持ちいいーっ」
海を渡ってきた風を全身に受けて、宮下が大きく伸びをする。
「気持ちいいねー」
生田も大きく伸びをした。久しぶりに味わう解放感である。
朱に塗られた鳥居の向こうに海原が見える。まるで海に願い事をするかのようだ。
宮下は畏まった表情で鳥居を向くと、静かに手を合わせてゆっくりと目を閉じた。
生田もそれに倣って手を合わす。
海風を頬に感じる。足元に聞こえる潮騒が、心音のように身体の芯にまで響いて心地よい。
生田が目を開けると、宮下はまだ目を瞑って願い事をしていた。
その横顔につい見惚れていると、目を開けた宮下と目が合ってしまった。
「生田主任は何をお願いしたんですか」
神妙な面持ちで祈願していた宮下が、破顔して生田を向いた。
「いや、まぁ」
曖昧に答えを濁したが、まさか「宮下と少しでも長く、ふたりきりでいれますように」と願ったとは、口が裂けても言えない。
「楽しい旅行になりますように、ってね」
「あーっ、わたしもだいたい一緒です」
そう言って先に降りてゆく宮下の背中を眺めながら、だいたい一緒、のだいたいの部分が「全然、違うんだろうなぁ」と呟いた。
白浜海水浴場は環境保全を目的として、また海水浴客がもたらす地元収益の分配の公平性を維持する為に、ビーチでの営利目的の活動を一切禁止していて、海の家が無い海水浴場としても有名である。
ビーチパラソルやサマーベッドのレンタルも、地元の原田地区や白浜観光協会が取り仕切っていて、ふたりは白浜神社から戻る途中、国道沿いに原田地区と書かれた看板を掲げる露天で、ビーチパラソルと、それにサマーベッドを2つレンタルした。
ビーチパラソルのレンタル代一日分千円と、サマーベッド五百円二台分、合わせて二千円を地元の有志であろう年配の男に渡すと、金を受け取った男がそのままパラソルを担いでビーチに向かう。それを生田と宮下でサマーベッドを一台ずつ脇に抱えて追った。
砂浜は国道側をピークに海に向かって緩やかに傾斜しており、斜面の中腹、ちょうどビーチ全体を見渡せる位置まで来ると「どれ、この辺りでいいかな」と言って、生田よりずっと年上であろうその初老の男は、担いでいたパラソルを下ろして、シャベルを砂浜に突き立てた。
夏の間中ずっとこの仕事をしているのだろう。背丈こそ一七〇センチある生田よりずっと低いが、真っ黒に日に焼けた肌に白のラニングシャツが、男の精悍さを増している。
男はあっという間に七〇センチほどの穴を砂浜に掘ってしまった。
ビーチパラソルの柄を掘った穴に挿して、その周囲を砂で埋めている。
「あの、この辺りでお勧めのレストランとかありますか?」
荷物を取りに行っていた宮下が、戻るなりパラソルの男に訊ねる。
確かに海の家が無いので、昼食の店探しに苦労しそうだった。
「それなら、あの建物の斜向かいにある『なぎさ』っていう店の唐揚げがムチャクチャ美味しいよ」
男がビーチ北端に見えるレンガ色の建物を指す。
「平仮名で『なぎさ』って看板が出ているから、すぐにわかるよ」
そう言って、
「プロサーファーが経営している店だよ」
と付け足した。
地元の人間のお勧めならば間違いは無い。
「うわぁ、美味しそう。後で行きましょうね」
今日のランチは唐揚げで決まりのようである。
そうは言ってもまだ午前十時前で、ランチまでにはたっぷりと時間がある。
「何か冷たいものでも買ってこようか?」
少し歩いて喉も渇いていたし、いつの間にか太陽の位置も高くなっていて、これから水分補給も必要になってくるだろう。
「わたし、ビールを飲んでもいいですか?」
そう言って、宮下が小銭を出そうとする。
「いや、いいよ」
それを手で遮ってアロハシャツを羽織ると、国道を渡った反対側にあるコンビニに向かって、緩やかな砂の斜面を一歩一歩上っていった。
クルマの運転をするのもあるが、元々生田はアルコール類を一切飲まない。体質的に受け付けないのだ。対して宮下は社内でも有名な酒飲みで、脇坂とふたりしてー脇坂も宮下に輪をかけて大酒飲みなのだがー会社帰りに飲みに行っては、そのまま朝まで飲んで、その恰好のまま翌朝出社した、という武勇伝を何度も耳にしていた。
よくそんなことをしていて危ない目に遭ったりしないものだと感心していたが、まぁそれは口にしないだけで、実際は怖い思いもしているのかもしれない。
それでも社内ニュースになるような大事が起きていないところをみると、ここは脇坂に感謝しなければいけないのだろう。
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